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旅行記 ・北里柴三郎記念館 − 熊本県阿蘇郡小国町
 
 きたざとしばさぶろうきねんかん
北里柴三郎記念館
北里柴三郎記念館・全景
北里柴三郎記念館 日本が世界に誇る医学者〜北里柴三郎〜の偉業を称え、後世へ伝えるための施設で、熊本県阿蘇郡小国町北里にあります。北里柴三郎博士が生前の大正5年(1916年)に建てた貴賓館・北里文庫があった敷地に、昭和62年(1987年)、博士の学問を受け継ぐ北里研究所、北里学園が中心になって博士の生家の復元修復を行うとともに、北里文庫の建物を利用して博士に関する遺品などを陳列し、小国町に寄贈しました。
北里柴三郎記念館・貴賓館
その後、平成24年(2012年)より北里研究所の寄付により北里柴三郎記念館の全体改修工事がはじまり、平成26年(2014年)工事が完了しグランドープンを迎えました。現在は、平成7年(1995年)4月1日に法人化した一般財団法人『学びやの里』により管理運営が行われています。
北里文庫
北里文庫 この建物は北里先生が大正4年(1915年)、30年ぶりに帰郷した際に郷里の青少年のために図書館をつくることを思い立ち、私財を投じて設立したものです。建設後は図書を購入し、また、司書の費用を負担するなど、郷里の青少年の教育にかける情熱がうかがわれます。先生の没後も第二次大戦中まで図書館として使用され、その後小国町に寄贈されました。北里家所有の山林も文庫の維持費の基金として町に贈られました。〜現地案内板より。
 
北里文庫と北里柴三郎夫妻手植えの杉
大正5年(1916年)に博士が私財1万円余を投じて郷里の青少年に贈った蔵書は1,511冊だったと記録にあり、当時は熊本県立図書館につぐ大図書館でした。終戦時までよく利用され、木造洋風建築は 120平方メートルありました。北里文庫の前庭にまっすぐそびえる二本の杉は大正5年に北里柴三郎夫妻手植えの杉です。
北里文庫(右手前)と貴賓館 
貴賓館 北里先生が帰省の際の住居として、また、郷里を訪れた賓客をもてなす場所として建てられ、大正5年(1916年)に完成しました。建物には地元の特産である小国杉が主に用いられており、質素な中にも丹念な施工のあとがうかがえます。二階客間からは小国富士と呼ばれる涌蓋山(わいたさん)の山容を一望でき、前庭越しに山間の村落の眺望が開けています。〜現地案内板より。
貴賓館
北里柴三郎生家 北里柴三郎は、この家に生まれ、少年時代を過ごしました。この家はこの記念館の北側に建てられたもので、庄屋の建物の一部でした。明治28年(1895年)、柴三郎が郷里から両親を招き一家が東京で暮らすようになったとき、旧居を縮小して現在の二部屋にしたものと伝えられています。
生家の一部
この建物の背面には、そのとき切断された梁や桁の跡が残っています。昭和40年(1965年)、この敷地に移築され、その後昭和62年(1987年)と平成26年(2014年)にそれぞれ修復工事が行われました。〜現地案板より。中には、顕微鏡を覗く研究中の博士の写真が飾ってありました。
北里文庫・エントランス
北里柴三郎博士 嘉永5年(1853年)〜昭和6年(1931年)。日本が誇る世界的な医学者北里柴三郎は、嘉永5年(1853)総庄屋北里惟信の長男として北里村(現小国町北里)に生まれました。明治4年(1871)熊本医学校に学び、さらに東京医学校(現東京大学医学部)に進み、卒業後、内務省衛生局に勤務します。
北里文庫(北里先生と門下生の方々) 
国の留学生として結核菌の発見者であるドイツのローベルト・コッホに師事しました。ここで貴重な研究業績を次々に発表します。とりわけ破傷風菌の純粋培養法の確立(1889)と血清療法の発見(1890)は前人未踏のもので、世界の医学界にその名をとどろかせました。
北里文庫(北里柴三郎の生涯)
帰国後、福沢諭吉などの援助により、伝染病研究所を設立、わが国の近代医学に大きな足跡をとどめました。大正3年(1914)自力で北里研究所を創設、昭和6年(1931)死去するまで終生わが国の公衆衛生、医学教育、医療行政の発展に貢献しました。以上、一般財団法人『学びやの里』の公式ホームページより。
 
胸像と写真(出典:Wikipedia)
『日本の細菌学の父』として知られ、ペスト菌を発見し、また破傷風の治療法を開発するなど感染症医学の発展に貢献。日本の医学者・細菌学者であるとともに、貴族院議員・従二位・勲一等・男爵・医学博士。私立伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)創立者兼初代所長、土筆ヶ岡養生園(現在の北里大学北里研究所病院)創立者兼運営者。
北里柴三郎記念館からの眺め
第1回ノーベル生理学・医学賞最終候補者(15名の内の1人)、私立北里研究所(現在の学校法人北里研究所)創立者兼初代所長並びに北里大学学祖、慶応義塾大学医学科(現在の慶應義塾大学医学部)創立者兼初代医学科長、慶應義塾大学病院初代病院長、日本医師会創立者兼初代会長、テルモ株式会社の設立者。以上、北里柴三郎 - Wikipedia より。政府は、1万円などの紙幣を20年ぶりに刷新する方針を固め、麻生財務相が平成31年(2019年)4月9日会見で発表しました。1000円札に北里柴三郎の肖像画が使われることになりました。
北里川の桜と涌蓋山(わいたさん)
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