ワシモ(WaShimo)のホームページ
 
旅行記 ・川上踊− 鹿児島県いちき串木野市 2015.08.23
川上踊
鹿児島県内では、
鉦役
(かねやく)を先頭に、矢旗を背負った太鼓役が続く勇壮な
太鼓踊りが伝承させて踊られています。
 島津義弘公の
居館跡や義弘公を祀る精矛神社
(くわしほこじんじゃ)がある鹿児島県姶良市の
ホームページには、下記のように由来があります。
 江戸で疫病が
大流行しますが、駿河の念仏踊りがねり歩いたところ下火に
なったという話を島津義弘公が聞き、
 
 文禄・慶長の役
(1592〜1598年)の凱旋記念に家臣に習得させ、薩摩に
持ち帰ったのがはじまりだそうです。
いちき串木野市
川上地区に伝わる『川上踊』もその流れを汲み、今から400年ほど前に五穀豊穣と
平和を祈念して創始されたといわれます。
 
 毎年8月26日を
踊りの日と定め、踊りつづけられてきましたが、戦時中に
中断し、昭和39年に復活しました。
現在では
毎年8月末の日曜日に、川上踊保存会によって踊られています。鉦や太鼓を
打ち鳴らし踊る様子は勇壮で華麗です。
川上踊は
21番まであり、通して踊り続けると約30分も
かかるといわれます。
踊り手踊り手は
地区内の中・高校生などが中心になり、鉦役
(かねやく)は花笠に
振袖姿、太鼓役は白装束です。
そして、太鼓役は、
長さ2メートルほどの竹竿
(たけざお)を背負い、頭には色とりどりの
紙短冊で飾った三角帽をかぶっています。
飛び跳ねながら
隊列を整え、大きな掛け声とともに、お腹に背負った大きな
太鼓を勇壮に打ち鳴らします。
この日のために、
大人たちやOBたちの指導を受けながら、ほぼ毎日
練習を続けてきましたが、
帰省した人の中には、
一回も練習をせずに踊っている人が何人かいるという紹介がありました。長年踊っていて、
体が踊りを覚えていて、踊れるのだそうです。
当日は、午前8時に
長田神社で打ち出しし、午前9時から諏訪神社、午前10時30分から葛城神社というスケジュールで
奉納され、11時30分から川上小学校で踊られました。
綺麗な飾りや矢旗。
それらは、踊り手たちが練習している期間中、公民館に集まって
集落の人たち総出で作成されます。
 
そして、小道具などを運び
踊子に太鼓を背負わせ、衣装や飾りを整えてあげるは大人やOBに人たちの役目。集落の
それぞれが一体となって伝統芸能が受け継がれています。
綺麗な飾りや踊りの所作。
丁寧に暮らす日本の文化に出合った川上踊でした。踊の会場へ車を飛ばす道すがらの田んぼは、
稲が青々と生長し、穂ぞろいを始めていました。
あなたは累計
人目の訪問者です。
 

Copyright(C) WaShimo All Rights Reserved.