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旅行記 ・上野原縄文の森 − 鹿児島県霧島市  2022.11
上野原縄文の森
駐車場(展示館はちょとした林の端にあります)
鹿児島県上野原縄文の森(うえのはらじょうもんのもり)は、
鹿児島県霧島市国分上野原縄文の森に所在する県営歴史公園および考古学系歴史博物館施設です。
公益財団法人鹿児島県文化振興財団が管理。日本の歴史公園 100選に選定されています。
上野原縄文の森・展示館(正面入口)
上野原遺跡を保存・活用し、
歴史と文化の学びの場とするために鹿児島県により整備された公園および体験型施設で、
2000年(平成12年)に着工され、2002年(平成14年)10月5日に開園しました。
オープン以来の日数と来館者数
36haの広大な園内には、上野原遺跡の出土品等を展示し
シアターやジオラマなどの演出で縄文の世界を再現した『展示館』、遺跡の一部を発掘当時のまま
公開した『遺跡保存館』、野外に縄文のムラを復元した『復元集落』などがあります。
南の縄文文化(開園20周年記念企画展)
県内の埋蔵文化財発掘調査を実施する
鹿児島県立埋蔵文化財センターは鹿児島県考古学研究の拠点となっています。また火おこしやアクセサリー作り、
縄文食作りなどの体験ができる『体験学習館』もあり、縄文時代へのタイムスリップができます。
企画展「南の縄文文化」より
上野原遺跡は、1986年(昭和61年)に、
霧島市(当時国分市)東部の標高250〜260メートルの台地上において工業団地
(国分上野原テクノパーク)の造成中に発見された遺跡です。
常設展示室入口の「和紙ドーム」
1986年(昭和61年)から1996年(平成8年)に
かけて鹿児島県教育委員会が発掘調査を行い、縄文時代早期前葉(約9.500年前)から
中世までの遺跡群を含む複合遺跡であることがわかりました。
ジオラマ(縄文時代の生活)
特に、遺跡群の最下層(10層目)には発見当時に
おいて日本列島で最古の大規模な定住集落跡があり、出土した土器(約7.500年前、縄文時代
早期後葉の土器)が1998年(平成10年)に国の重要文化財に指定されました。
ジオラマ(縄文時代の生活)
また、遺跡の一部(約9.500年前、縄文時代早期前葉の
遺跡)が1999年(平成11年)に国の史跡に指定されました。上野原遺跡は、「縄文文化は東日本で
栄えて西日本では低調だった」という常識に疑問を呈する遺跡ともなりました。
常設展示室
双子壺(縄文時代早期後葉)は、上野原台地の
南東側に位置する区域の最も高い場所から、対で発見された壺形土器です。この双子壺のほかに11基の
土器埋納遺構が見つかっており、この場所でマツリが行われたと考えられています。
常設展示室(7,500年程前の出土品)
壺形土器は、一般的に弥生時代になって
から使われるようになる土器ですが、この壺形土器が、 5,000年以上もさかのぼる約 7,500年前
(縄文時代早期後葉)にすでにつくられていたことが明らかになりました。

常設展示室
復元集落(縄文時代早期前葉)は、1999年(平成11年)に
国指定史跡となった上野原遺跡第4工区の調査結果をもとに、竪穴住居をはじめ、調理用の施設だと
考えられる集石遺構や連穴土抗など、約 9,500年前のムラが復元されているエリアです。
常設展示室・『双子壺』(指定重要文化財)
上野原遺跡では、
9,500年前の竪穴住居跡が52軒発掘され、さらに集石遺構が39基、土抗
(どこう)
約 260基、連穴
(れんけつ)土抗が16基、道筋が2条見つかっています。
出土のようす(レプリカ)
この「復元集落」では、竪穴住居が復元され、
クリ、クヌギ、クマシデ、ヤマザクラ、ムクノキ、コナラ、ハルニレ、クヌギなど、
当時の気候を反映した落葉広葉樹の森が再現されています。
常設展示室
竪穴住居は、平らな土地に掘った穴に、
柱を立てて屋根をかけたすまいで、住居の中は意外と夏は涼しく、冬は暖かいそうです。道筋は、自然の
浅い谷などを利用して水飲み場などへ行き来しているうちにできたと考えられています。
常設展示室・『深鉢』(指定重要文化財)
集石遺構では直径10〜20cmの石が
たくさん見つかっています。石を焼いてその上に葉などで包んだ魚や肉などを置き、
上から土をかぶせて『蒸し焼き料理』をしていたと考えられています。
縄文人の多彩な道具と仕掛け
連穴(れんけつ)土坑は、大きな穴と
小さな穴を掘り、両方の穴をトンネルで繋いだものです。大きな穴で火をおこし、小さな穴
(煙突の役割をする)に煙を出して燻製を作っていたと考えられています。
復元集落
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