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♪花の歌(ランゲ) |
ぴあんの部屋 |
持明院様(ジメサア)ゆかりの地 − 鹿児島県 |
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鹿児島市内観光に欠かせないのが西郷隆盛銅像。その裏手の歩いて一分とかからない、市立美術館の敷地の一画に、『ジメサア』と呼ばれる一風変わった石像があります。どっしりとしていかにもふくよかそうな石に顔が彫られ、派手なお化粧がされているのです。ジメサアとは、『持明(じみょう)様』の鹿児島なまりで、戦国時代の太守・島津義久の三女・亀寿のこと。薩摩藩初代藩主・島津忠恒(家久)夫人になったひとで、法名から持明夫人と呼ばれました。伝承によれば、器量には恵まれませんでしたが、その人間性が尊敬され、亀寿の死後、人々がいつしか、ジメサアの石像に化粧する風習が定着したといわれています。持明院様(ジメサア)ゆかりの地を訪ねました。(旅した日 2008年01月) |
持明院様 |
− この石像は、島津家18代家久(忠恒)の奥方持明夫人像『ジメサア』の名で親しまれています。持明院様は16代義久の娘で亀寿といい、器量には恵まれませんでしたが、その人間性が尊敬され、人々は『器量はすぐれずとも、心優しく幸せな家庭を築いた』夫人の人柄を慕い、毎年10月5日の命日には、この像におしろいや口紅をぬって、夫人にあやかるようにおまいりするならわしが残っています。 − (現地の案内板より) |
つるがねじんじゃ |
鶴嶺神社 |
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舞鶴城(国分城)跡 |
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現在は、霧島市立国分小学校となっている舞鶴城跡地に石垣と堀のみが残り、かつて舞鶴城の南門で、その後藩士屋敷に払い下げられ移転保存されていた『朱門』が復元されています。 |
【参考資料】 ・鶴嶺神社略記(鶴嶺神社社務所発行) ・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 |
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