♪花の歌(ランゲ)
ぴあんの部屋
出雲大社島根県出雲市
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神の国、神話の国として知られる出雲の国。その中心にあるのが出雲大社。正式には『いずもおおやしろ』といいますが、一般には『いずもたいしゃ』と読みます。祭神は、大国さまとして親しまれている大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)で、縁結びの神様、富の神様としても知られ、旧暦10月の神無月(かんなづき、出雲では神在月)には全国から八百万(やおよろず)の神々が集まり神議が行われるといわれます(神在祭 旧暦10月11日〜17日)。日本神話によれば、国津神(地に現れた神々)である大国主大神が、天津神 (高天原(たかあまはら)にいる神々)に葦原中国( あしはらのなかつくに、日本の国土)を譲る際に、その代償として、天孫が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしいと求め、造営されたのが出雲大社の始まりだといわれます。                      (旅した日 2008年11月)
      
     
松の参道
出雲大社の正門の二つ目の鳥居から銅鳥居までの参道は、4列にならんだ松並木。とても雰囲気の参道です。

   
ムスビの御神像
松並木の参道が終って銅鳥居をくぐる手前右手にある『ムスビの御神像』。大国主神が、『幸魂・奇魂(さきみたま・くしみたま)』(写真左の玉)のお蔭を頂いて神性を養われ『ムスビの大神』になられたという意味を象徴している像です。
       
       
拝殿
1959年(昭和34年)5月に竣功の拝殿(はいでん)。1952年( 昭和28年)5月に、荒垣内にあった古い拝殿・鑽火殿(さんかでん)・庁舎(ちょうのや)が不慮の火のために焼亡してしまったので、全国の崇敬者の方々の浄財によって、6年後の昭和34年に総工費1億1千万円をかけて新たに竣功したもの。通常は、参拝者の御祈祷が行われ、古伝新嘗祭等のお祭の他、さまざまな奉納行事が行われます。拝殿の大注連縄は長さ8メートル、太さ3メートル、重さ1.5トン平成20年4月から平成25年5月までは、『平成の御遷宮』のため『御仮殿』とされます。


御本殿
御本殿
御本殿は、祭神である大国主大神が鎮座されている宮で、高さ約24mの偉容を誇る大規模な木造建築は、『大社造り』と呼ばれる日本最古の神社建築様式で、現在国宝に指定されています。古来より『天下無双の大廈(たいか)』と称された日本一の高層神殿は、社伝によると、太古の本殿の高さは現在の4倍にあたる97m、中古には現在の2倍にあたる48mあったといわれています。2000年(平成12年)には、その社伝を裏付けるかのような、直径3mもの巨大な柱根が境内で発見されました。
平成の御遷宮
現在の御本殿は、延享元年(1744年)に遷宮造営され、以来、文化6年(1809年)、明治14年(1881年)、昭和28年(1953年)と3度にわたり遷宮修造が行なわれてきまして。そして、今度『平成の御遷宮』が行なわれます。
 
平成20年4月20日に、現在の拝殿を御仮殿にして、祭神をそこに遷す『仮殿遷座祭』がとり行われ、御本殿の修造が整う平成25年5月にはもとの御本殿に還す『本殿遷座祭』が行なわれることになっています。
  
  
十九社(じゅうくしゃ)
旧暦の10月の神無月(出雲では神在月)の神在祭(旧暦の10/11〜17)の間、全国の神々がここに集い、縁結びの会議を開く、その時の神々の宿舎がこの十九社です。通常は全国各地の神々の遙拝所となります。御本殿の東と西に一つずつあります。写真は、西十九社。

  
御慈愛の御神像
  
 因幡の白兎
大国主神には何十人もの異母兄弟の神がいて、総称して八十神(やそがみ)と呼ばれていました。気のやさしい大国主神は、いつも八十神たちに荷物を持たされるので、いつも大きなふくろを背中に背負っていました。そのころ、因幡(いなば)の国(現在の鳥取県東部)に、それはたいそう美しい八上比売(やがみひめ)というお姫さまがいました。噂を聞きつけた八十神たちは、荷物を全部大国主神に持たせ、先を争って求婚に出かけます。その途中、赤裸にされて泣いている因幡の白兎に出合いますが、先を急ぎたい八十神たちは、『海水を浴び、高い山の上で風に当たって寝ていればよい』といい加減なことを言って立ち去ります。兎が、八十神たちに言われた通りにしてすっかり傷だらけになって泣き伏せっているところへ、大国主神がやってきました。大国主神が何があったのかとたずねると、兎がつぎのように答えます。


  
 
私は、淤岐嶋(陰岐島は、あるいは単なる沖の島)にいて、こちらに渡ろうと思ったが渡る手段がないので、海の和邇(わに)に『君たちの仲間と、私の仲間とどっちが多いか競争しよう。できるだけ仲間を集めて気多(けた)の岬まで一列に並びなさい。私がその上を跳び超えながら数えてあげる』と言った。和邇は、言われた通りに一列に並び、私はその上を跳んで行って、こっちの地面に下りようとするときに『君たちは騙されたんだよ』と言うと、和邇は私を捕えて皮を剥いでしまった。先程通りかかった八十神に言われた通りにしたら、すっかり傷だらけになってしまった。
 
大国主神は兎に、河口へ行って真水で体を洗い、そこに生えている蒲(がま)の花粉を取ってその上で寝ると良いと教えました。兎が教えられた通りにすると、体は元通りに直りました。

 
 
神楽殿
 神楽殿
境内を西の門から出て川を渡ったところにある神楽殿(写真最下)は大きな注連縄で知られています。本殿と同じように朝夕のおまつりのほか、御神楽や御祈祷が奉仕されます。また、全国には出雲大社教のおしえを広く伝えるための教会や講社がありますが、それら教会・講社に属する人々が揃ってお参りされおまつりを受けられることを『おくにがえり』と言い、神楽殿でそのおまつりが奉仕されるのだそうです。
           
 
神楽殿は、もともとは明治12年出雲大社教が組織化された当時、その教化のために大国主大神さまを本殿とは別におまつりしたことに由来します。現在の建築は昭和56年に新築され、その大広間は270畳敷きあって、神社建築にはめずらしく、正面破風の装飾にステンドグラスが使われているそうです。神楽殿の注連縄(しめなわ)は、拝殿のそれよりさらに多く、長さ13m、重さ5トンという巨大なものです。
 
 
編集後記
2008年11月、文化の日の連休を利用した山口県萩、島根県津和野、石見銀山遺跡、出雲大社への2泊3日の旅は、連れ合いと二人連れのドライ旅行でした。最終日、島根県大田市の石見銀山遺跡を出たのが午後1時半、国道9号線を上ること1時間で出雲大社に着きましたが、時間に余裕がなかったので、出雲大社は1時間の滞在でした。帰りは宍道ICまで上り、松江自動車道の三刀屋木次ICから国道54号経由で中国自動車道の三次ICに出ました。宍道ICからすぐ左下に宍道湖が見えます。日程が許せば宍道湖畔に泊まりたかったのに。もう宍道湖を見ることもないだろうなと話しながら宍道湖の風景を後にしました。国道54号は、雲南市を突っ切って三次ICまで南下します。雲南市農村部の石州赤瓦の家並み
は、まるでヨーロッパの風景を見るようでした。こうした出会いもまた旅の楽しさです。中国自動車道に乗ったのは丁度午後6時。すっかり日は暮れてしまっています。それから約7時間、一途に運転して鹿児島の自宅に着いたのが夜半過ぎでした。よく走ってくれたアウディA4、2.4V6でした。写真は、出雲大社を出発したとき撮影した高さが23mの日本一高い鳥居です。
   
   
 幸魂奇魂〜大国さまの話し
   
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