♪秋の歌(チャイコフスキー)
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石見銀山(町並み地区) − 島根県大田市
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石見(いわみ)銀山は、室町時代末期の1526年頃に本格的な開発が始まり、以来およそ400年に渡って銀が採掘された鉱山でした。とくに16〜17世紀の戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎え、戦国武将たちが石見銀山を巡って争えば、徳川時代となると幕府直轄領にされ厳しい管理下に置かれました。17世紀前半には日本は全世界の銀産出量のおよそ3分の1を生産したとされ、その大部分を石見銀山が支えました。石見銀山の遺跡は日本を代表する鉱山遺跡として1969年(昭和44年)に国によって史跡に指定、2007年(平成19年)7月、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。石見銀山の散策コースには、『銀山地区』を歩くコースと『町並み地区』を歩くコースの2つがあります。石見銀山の中心地である銀山地区を往復約5km散策したあとは、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている町並み地区を片道約1km散策です。                        (旅した日 2008年11月)
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羅漢寺と五百羅漢
『銀山地区』と『町並み地区』を分ける『銀山公園』のすぐ近くにあって、石見銀山遺跡にユニークな雰囲気を醸しだしているのが羅漢寺の五百羅漢(写真右・下)です。
  
観世音寺の住職だった月海浄印は、昔銀山で働いて亡くなった人々の霊を供養しと銀山の安全のため、五百羅漢造営を発願されました。多くの方の寄進によって、25年の歳月を経て明和3年(1766年)に完成しました。石窟(せっくつ、岩石を掘って造ったほら穴)の中に安置されています。一方、五百羅漢を護るために建立されたのが
羅漢寺(写真上)です。
現在の温泉津町福光の石工・坪内平七とその子および一門の人々が約 20年の歳月をかけて彫像した羅漢像は、笑っているもの、泣いているもの、説法をしているもの、天空を仰いでいるものなど、様々な表情と姿勢をしています。
 
羅漢(らかん)とは、修行を積んで悟りに達したものの称号である
阿羅漢(あらかん)の略で、五百羅漢は、釈迦の滅後、その教えを広めていこうと集まった500の阿羅漢たちのことです。
  
  
大森の町並み(重要伝統的建造物群保存地区)
ゆっくりカーブを描く下り道を、大森代官所跡まで下りて行きます。どこか妻籠の雰囲気があります。
    
    
観世音寺
観世音寺
観世音寺(写真上)は、岩山の上にあり、石城(せきじょう)とも呼ばれます。江戸時代には大森代官所が銀山隆盛を祈願するための祈願寺でした。本堂のほか山門と鐘楼が残されています。寛政の大火の際に類焼し、その後再建されました。石段の入口には一畑薬師の石板が置かれており、鉱山で目を痛めた人の祈願所でした。宝暦年間(1751〜1763年)にこの観世音寺の住職であった月海浄印が五百羅漢を造営するとともに羅漢寺を建立し、自ら住職となりました。
旧大森区裁判所
大森区裁判所(写真右)は、明治23年(1890年)に開所し、昭和20年代初めまで機能していました。建物は当時の大森町民が建築に要する資材、土地などを提供して建てられのだそうです。擬洋風で当時の姿を良く残しています。大森町が明治に入ってからも地方行政・司法の中心的役割を果たしていたそうです。現在は、銀山や町並みの歴史と暮らしを映像で紹介したり、町並みの保存修理資料を展示する『大森町並み交流センター』となっています。
しかし、石州瓦の家々が軒を連ねる町並みは、当地独特の風景です。

     
商家の町並み

  
熊谷家住宅(重要文化財)
熊谷家の遺宅。熊谷家は、家業である鉱山業や酒造業とともに代官所に納める年貢銀を計量する掛屋(かけや)や大森代官所の御用商人も務め、当主は代々大森町町年寄に就くなど石見銀山御料内で最も有力な商家でした。広大な屋敷地に主屋、納屋と共に五つの蔵が建ち並ぶ総漆喰の建物(写真下)。
    
思わずシャッターを押した小さな店。『石見銀山 釜屋』(写真左)は、鉄でできたオブジェのほか、お香や骨董(ディスプレイ用雑貨類)、ガラス商品やティーカップなども販売しているお店。『小さな店』(写真下)という小さな店は、かすりなどの古布で作ったコースター、眼鏡入れ、小銭入れなどの小物や、絵葉書、石見銀山に関する書籍などを販売しています。
     
     
大森代官所跡
大森代官所跡
大森区裁判所(写真右)は、明治23年(1890年)に開所し、昭和20年代初めまで機能していました。建物は当時の大森町民が建築に要する資材、土地などを提供して建てられのだそうです。擬洋風で当時の姿を良く残しています。大森町が明治に入ってからも地方行政・司法の中心的役割を果たしていたそうです。現在は、銀山や町並みの歴史と暮らしを映像で紹介したり、町並みの保存修理資料を展示する『大森町並み交流センター』となっています。
勝源寺(写真下)は、幕府から天領・石見銀山に任ぜられた奉行・代官の菩提寺として、人々の尊敬を得た寺でした。後に、徳川家康を祀る東照宮が、勝源寺の裏山に建てられると、歴代奉行・代官は毎年参拝したといわれます。勝源寺は代官様の寺として、また石見銀山の天領の象徴として、親しまれてきました。
  
城上神社(写真左)は、大物主命(おおものぬしのみこと)を祀(まつ)る神社で、石見銀山の安全と繁栄を願う、大森の氏神様です。
     
    
 旅行記 ・石見銀山(銀山地区) − 島根県大田市
   
   
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