♪いつの日にか
TAM Music Factory
錦帯橋− 山口県岩国市
                        (
独立した藩として毛利宗家から認められず冷遇された岩国藩。そのためか、初代藩主・吉川広家は、東西と北側を錦川に囲まれた高さ300mの山頂に要害(城)を築き、山麓に居館を構えます。そして、錦川を外堀とし整備しました。しかし、清流・錦川の増水時の水流の激しさは想像を絶し、橋を架けても流失を繰り返すばかりでした。第三代藩主・吉川広嘉(ひろよし)公は、明の帰化僧『独立(どくりゅう)』の所持する『西湖遊覧誌』という書物に載っていた島から島へ架け渡された中国・西湖の橋にヒントを得、錦帯橋の原型となる連続アーチの木造橋を架けました。現在の橋は四代目にあたり、2001年秋〜2004年早春にかけて、「平成の架け替え」と言われる50年に一度の全面架け替え工事が行われたばかりです。                (旅した日 2005年03月)
◆レポート 『岩国藩主・吉川広家』 もあわせてご覧下さい。
錦帯橋
江戸時代より日光の神橋、甲斐の猿橋と並び日本三名橋と言われています。ゆるやかな五連のアーチを描く、全長 193.3m(橋面にそって210m)幅 5m橋台の高さは 6.6mの木造の橋。大正11年(1922年)、国の名勝に指定されています。


1673年に第三代藩主・吉川広嘉が原型となる橋を架けました。それから 276年間にわたって錦帯橋は活躍しますが、1950年(昭和25年)のキジア台風による錦川の増水に耐えきれず流失してしまいました。しかし、すぐに再建が実施され、3年後の1953年(昭和28年)には、再びその雄姿をみせました。平成の架け替えを終え、現在の姿になっています。


岩国城 慶長13(1608)年に、初代藩主・広家が8年の歳月をかけて城山の山頂に完成させますが、元和元年(1615年)に、一国一城令が出されると毛利家の自発的な決断によって破却され、竣工からわずか7年でその生涯を閉じます。現在のもの(写真左手の山頂に小さく見えます)は、昭和37年(1962年)に復元されたものです。



一本の釘も使われず、巻金とカスガイで組み上げられていて、近くから見上げると大恐竜の骨格に見えます。


香川家長屋門(山口県有形文化財指定)
香川家長屋門は、岩国藩家老香川家の表門で1693年に建造したもの。名匠大屋嘉左右衛門が一代の丹精を込めて建造したもので、当時の武家屋敷の構えをよく残していると言われています。


目加田家住宅(国の重要文化財)・錦雲閣
目加田家住宅 (めかたけじゅうたく)(写真左) 吉香公園(居館跡)内にあり、江戸時代の中期に建てられた170石取りの藩士の屋敷。入母屋造で、一部2階建てになっているのは武家屋敷には珍しい。中級武家屋敷がほぼ完全な形で残っている遺構は、全国的にも数が少なく、国の重要文化財に指定されています。錦雲閣(写真右) 吉香公園内にある矢倉のような建物。旧藩時代には三階建の南矢倉のあった所で、明治18年(1885年)に、居館跡が公園になったとき、矢倉に似せた絵馬堂として建造された建物です。

錦帯橋再発見  錦帯橋公園観光案内


あなたは累計
人目の訪問者です。
 
Copyright(C) WaShimo All Rights Reserved.