♪波打ちぎわ
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石積練塀の集落〜祝島 − 山口県上関町
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独特な石積練塀をめぐらせた集落で知られる山口県上関町の祝島は、周防灘の東端に突き出た室津半島の10数kmの沖に浮かぶ周囲12kmの小さな島です。その石積練塀の町並みを実際に見てみたいと思い立ち、3月上旬に出かけました。瀬戸内にも時折り雪の舞う寒い、波の高い日で、柳井港を出た高速船は、室津半島沿いに大揺れに揺れて進みます。各駅停車のように、室津、上関、浦井、四代の4つの港に寄港して進むので、島まで1時間強の船旅でした。海岸の波で洗われた丸いゴロタ石を土やセメントで固めて作った塀は、白地に石がモザイク状に浮かび上がって、あたかも芸術作品を見るようでもあります。集落の大方の家々が石積練塀をめぐらせているので圧倒されます。祝島は、大和朝廷の役人たちが朝鮮半島の新羅(しらぎ)に向かう航路の途中にあったため、神事や歴史的由来が伝わる島です。                       (旅した日 2005年03月)
    
祝島
祝島は、古代より大分県の国東半島へ至る最短の航路コースだったので、行き交う船の交通安全を守る神霊の島として崇められてきたと言われます。万葉集には、祝島に航海の安全を祈願して詠んだ歌が記されています。
   
            
家人は 帰り早来と祝島  斎(いわい)ひ待つらむ旅行く我を  (万葉集巻15)
    
祝島には無形文化財に指定されている「神舞神事」が伝承されています。この神事は、1,000年以上の歴史をもつ神事で、4年に一度、大分県の伊美別宮からご神体を迎えて、神舞がくりひろげられるそうです。仁安2年(1167)、小深田盛継という人の一行が、京都石清水八幡宮の祭神を勧請し、大分県伊美にむけて航行中に荒天にあって祝島に漂着しました。当時、祝島には三軒の民家しかなく、悲惨な生活をしていましたが、貧しさの中で小深田一行を歓待しました。小深田一行は、そのお礼に神を祀ることや農耕の方法なども教えたので島民の生活は豊かになったそうです。祝島の神舞には、そんな由来があります。
   
また、祝島には、キウイフルーツの原種とも言われる「コッコー」の実を不老不死の秘薬として、秦の始皇帝の使者・徐福(じょふく)が祝島に取りに来たという蓬莱島(ほうらいじま)伝説が伝わっています。  
家の周囲に石積練塀を高くめぐらした家は、城砦のような雰囲気があります(写真上左)。お寺の壁も石積練塀です(写真上右)。門に注連縄(しめなわ)と紙垂(しで)をたらした家がありました(写真下左)。板壁と漆喰(しっくい)の家がありました(写真下右)。祝島には珍しい家です。
瓦屋根がなかったら異国の町かと勘違いしそうな雰囲気があります。折りしも雪が舞ってきました(写真下右)
  
                           
練塀の白地に消ゆる名残雪  ワシモ
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