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五木村はいま − 熊本県球磨郡五木村 |
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ご承知の通り、熊本県球磨郡五木村は、全国の子守唄を代表する『五木の子守唄』の発祥の地であり、戦後、子守唄とともに一躍有名になりました。と同時に、1966年(昭和41年)に建設計画が発表された川辺川(かわべがわ)ダムに沈む村としても注目を集めてきた村です。ダムの計画発表以来、五木村は、議会、全村民をあげてダム建設絶対反対を唱え、20年間以上闘い続けてきましたが、苦渋の選択で全村民合意の下、ダム建設を容認して、新しい村づくりを目指すことになりました。 そして今、水没する集落は、高台に造成された代替地への移転をほぼ完了しているのですが、漁業補償と農業利水事業の問題で、ダム建設計画の発表から丸40年を経った今日でも、 ダム問題は未解決のままです。今の五木村の風景のいくつかをアップロードしました。 (旅した日 2006年07月) |
五木村 |
『夢童』〜濱野邦昭・作 |
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『風のなかにふるさとの声がきこえる』〜長房一洋・作 |
水没予定地にいまだ健在の熊本県立人吉高校五木分校 |
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村がどう変わろうと、五木は子守唄のふるさと |
川辺川岸辺の旧頭地(とうじ)集落跡と高台の代替地に造られた新しい頭地集落 |
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『翔』〜住近芳子・作 |
頭地代替地の新しい家並み |
【備考】 川辺川ダムの農業利水事業問題 |
旧建設省が川辺川ダム計画を立てた1966年(昭和41年)の時点では、治水目的だけでしたが、1968年(昭和43年)には農業利水を入れた多目的ダムとして計画の変更がなされました。 ところが、『ダムの水はいらん』という人吉・球磨農民の川辺川利水訴訟が、2003年5月勝訴します。 今年(2006年) 6月、農水省は川辺川ダムに頼らない新たな農業利水計画を地元市町村や農家代表らに説明しました。この新しい案で農家の同意が得られれば、川辺川ダムから利水目的がなくなり、再び治水を主目的としたダム建設の是非が討議されることになります。 |
【参考にしたサイト】 |
■熊本県五木村長・西村久徳「子守唄の里 五木村」(H16/12/20) → http://www.zck.or.jp/essay/2503.htm ■d-score 楽譜 - 五木の子守唄 ---- 熊本県民謡 → http://www.d-score.com/ar/A03040901.html ■五木の子守唄 → http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kumamoto/shoukai/ituki_k.html |
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