♪Prologue
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玉石垣の武家屋敷群鹿児島県薩摩川内市入来麓
                       
川の自然石を使った独特の玉石垣とその上に植えられた茶やイヌマキなどの生垣に囲まれた武家屋敷は、周囲の山々と一体となって、あくまで静かに佇(たたず)んでいます。薩摩藩は、領地を外城(とじょう)とよばれる113の行政区画に分けて統治しました。武士団を本城(鹿児島市)近辺に集結させず、領地内に分散して統治に当たらせ、外城における統治の中心地を麓(ふもと)とよびました。入来(いりき)麓は、鹿児島県北西部の、当HPの制作者の住む町から車で10数分のところにある薩摩藩麓の一つで、中世の名残を残す町並みがよく保存されていて、昨年(2003年)12月、知覧武家屋敷群、出水武家屋敷群に次いで、鹿児島県で3番目の伝統的建造物群保存地区(武家町)に選定されました。ちょうど桜が満開の4月の初めの快晴の日に訪ねました。
                                            (旅した日 2004年04月)
かやぶき門
入来は、鎌倉時代の地頭職であった関東武士の渋谷氏がこの地に下り、入来院と名乗って支配した荘園でした。入来は、 昭和4年(1929年)アメリカのイェール大学教授の朝河貫一博士によって書かれた、『入来院家文書』を史料とする比較法制史論文『入来文書』(The Ducument of Iriki)によって、日本よりむしろ海外において有名になった町です。『入来文書』は、入来院宗家、庶流、家臣家に伝わる 中世文書等の総称で、日本封建制研究者必携の史料集といわれています。 写真は、入来の代表的景観である庶流入来院家の茅葺(かやぶき)門
玉石垣と生垣
入来武家屋敷のまち並みは、中世から江戸期にかけてできたもので、その特徴は、何といっても樋脇川の自然石を使った独特の玉石垣とその上に植えられた茶やイヌマキなどの生垣にあります。
屋敷割り

入来麓伝統的建造物群保存地区は、近世になって整備された街路と地割が旧態をとどめ、屋敷割りもよく残っていて歴史的価値が高いとされています。

武家屋敷の面影
現在、ほとんどの屋敷跡には民家が建てられ日常の生活が営まれています。そして、立派な長屋門などは残っていませんが、家々の門から屋敷をのぞくと、門から玄関への幾重にも折れ曲がったアプローチや庭の古木、石倉などに当時の武家屋敷の面影がしのばれます。
【伝統的建造物群保存地区データ】
名称:薩摩川内市入来麓伝統的建造物群保存地区【武家町】
区分:重要伝統的建造物群保存地区/面積(ha): 19.2/所在地:鹿児島県薩摩川内市
選定年月日: 平15.12.25
 旅行記 ・入来薪能

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