♪花の歌(ランゲ)
ぴあんの部屋
火の神公園 平和祈念展望台鹿児島県枕崎市
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薩摩半島の先端部、JR指宿枕崎線の終端地である枕崎市は人口約 25,000人の中核都市です。漁業が盛んで、特にかつおの水揚げで有名です。その枕崎市の南端に突き出た岬に火の神公園という公園があります。眼前に高さ42mの立神岩がそびえ立ち、湾曲する海を隔てて東に開聞岳、南には天気がよければ硫黄島、竹島、種子島や屋久島が望める景勝地となっています。1945年(昭和20年)4月7日、米軍航空隊の攻撃により撃沈された戦艦大和の沈没位置が、1985年(昭和60年)に確認されると、沈没地点の至近距離にある枕崎市では、2005年(平成 7年)、枕崎商工会議所や市民団体等が協力して、火の神公園内に平和祈念展望台が建立されました。     (旅した日 2009年03月)
   
   
火の神公園
『男たちの大和』のロケ地
映画『男たちの大和/YAMATO』(2005年、東映配給)のロケのあったところです。2005年4月、枕崎漁港に内田真貴子(鈴木京香)という女性が訪れ、大和が沈没した地点へ連れて行って欲しいと頼み回りますが、漁師たちはだれも相手にしてくれません。そんな漁師の中に、水上特攻時に大和の乗組員として乗艦していた神尾克己(仲代達矢)がいました。一度は真貴子の頼みを断りますが、彼女が自分の恩人であった内田兵曹(中村獅童)の養女であることを聞かされます。そのシーンがこの場所(写真上・下)で撮影されました。
         
         
平和祈念展望台
水平線のかなたに第二艦隊沈没地点があります(写真上)
 英霊鎮む沖縄海戦しのびつつ
 火の神の丘に大和艦碑建つ
  
   枕崎の西南の海渡り来る
   わだつみの雄叫びか
     潮騒かなしや
2001年(平成3年) 枕崎商工会議所は、戦艦大和等の沈没地点の至近距離にある枕崎市の住民として戦艦大和ほかの50周年記念事業に取り組むことを議決し、市内の各種団体長等で組織しする推進協議会も発足し、2005年(平成 7年)に、沈没地点を遠望する市内火の神公園内に平和祈念展望台が建立されました。
歴史上の出来事を後世に語り継、幾多の殉国の英霊に感謝し、その御霊を永久に御供養するとともに世界の繁栄と平和を願うために造られました。ここには殉難鎮魂之碑と、世界の恒久平和を願うシンボルの女神像などが安置されています。
  波涛しずまる枕崎
  ともしび灯る枕崎
  
    再び還りませ枕崎
    待ちわびる
       遺族のあることを                  
  天網恢恢 疎にして漏らさず
  
      国の為 命惜しまず
         みごと散る
       勇士達は桜花の如し        
殉難鎮魂之碑
『殉難鎮魂之碑/戦艦大和などの御霊に捧ぐ』と『女神像』(写真上)
奉納石灯籠/巡洋艦矢矧の英霊に捧ぐ
戦艦大和の沈没地
在りし日の戦艦大和(写真上)
戦艦大和を旗艦とする第二艦隊は、米軍に上陸された沖縄防衛の支援を目的に4月6日の夕刻、山口県徳山湾沖から沖縄へ向けて出撃しますが、行く先を秘匿(ひとく)するため佐多岬から進路を西へ変え、東シナ海へ航行します。しかし、米軍航空隊の波状攻撃をにより、1945年(昭和20年)4月7日14時23分に沈没しました。
戦艦大和会を中心に結成された『探索会』による海底探索の結果、1985年(昭和60年)に、戦艦大和は北緯30度43分、東経128度04分、長崎県男女群島女島南方 176km(鹿児島県枕崎市の西南西約 200km)の水深345m の地点に沈没していることが確認されました。
戦艦大和の沈没地(現地案内板を撮影)
現地案内板を参考に作成
     
    
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