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肥前浜宿の町並み〜 佐賀県鹿島市浜町
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佐賀平野の最南端に位置する「肥前浜宿(はましゅく)」は、浜川の河口につくられた在方町で、室町時代にはすでに町として成立していたと考えられ、江戸時代は長崎街道多良往還(多良海道)の宿場町として、また有明海に臨む港町として栄え、明治以降も酒造業や水産加工業に支えられ、豊かな町並みがつくられてきました。人口も多く、江戸時代から「浜千軒」といわれてきたそうです。八宿地区や中町地区周辺を中心に、通り(長崎街道多良往還)沿いには今でも白壁土蔵造りの酒蔵や草葺の町屋が立ち並び、伝統的な景観を色濃く残しています。鳥栖(とす)から乗ったJR長崎本線の特急「かもめ」の車窓に、佐賀平野一面の麦が色づきを深めている麦秋(ばくしゅう)の時季に肥前浜宿を訪ねました。        (旅した日 2005年5月)         



肥前浜宿
山口家住宅と八宿の町並み(酒蔵通り) 通り(長崎街道多良往還)で最も古い民家で、19世紀にさかのぼる可能性のある建物。入母屋(いりもや)造りの土蔵造りで妻入りになっています。中は二階建てで、元武士の屋敷らしく格式の高い造りになっています。この山口家住宅を中心にした八宿一帯は、浜で古い町並みが最も連続して残り、浜宿の雰囲気を色濃く残しています。今この町並みを保存活用したり、草葺の武家屋敷(旧乗田邸)を修復するなどの、地元住民を中心とした活動が行われています。
継場 「継場」は、江戸時代に宿場での人馬の継立てなどの業務を行うところで、「問屋場」「継立場」などともいわれました。この切妻造の大壁土蔵造の建物は、江戸期18世紀末期にさかのぼる建物であると推定され、明治時代以降は呉服問屋や浜郵便局長の官舎と使用されてきました。建物の中には、帳場の跡や人足が控えていた部屋などがあります。
浜の酒蔵 八宿から中町にかけての町並みには、戦前から十数軒の造り酒屋をはじめ、醤油屋、魚市場などの白壁土蔵の町屋が立ち並んでいました。現在では、この通りで実際に酒を醸造しているには、数軒だけとなっています。しかし、現在でも、使われなくなった土蔵が多く残ることから、通称「酒蔵通り」と呼ばれ、昔の酒蔵の繁栄の様子をしのばせています。
酒屋・醤油屋 七軒の酒屋と一軒の醤油屋が立ち並ぶ「酒蔵通り」を歩くと、何とも言えない酒の薫りが漂ってきます。煉瓦積みの煙突や木桶や酒の銘柄を染め抜いた幟(のぼり)などが酒処の雰囲気を醸し出しています。
旧魚市場 漆喰(しっくい)で「魚市場」と書かれた建物。昭和39年(1964)まで、鹿島市全体の魚を取り扱っていた魚市場でした。そのため、この建物の前の通りは毎朝、新鮮な魚介類を求める人々で大変な賑わいを見せていたそうです。
庄金の草葺町屋 酒蔵通りを抜けてすぐ南にある庄金地区は、江戸時代の庄津町と金屋町の頭文字を採った名前です。庄津は船頭、金屋は鍛冶屋のことで鍛冶屋などの職人や船頭などの住む町でした。いまでも草葺の町屋が残っています。
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