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旅行記 ・羽黒山 − 山形県鶴岡市 2017.06.02
羽黒山
国宝・羽黒山五重塔
 出羽三山と羽黒山
古くから山岳修験の山として知られる月山湯殿山羽黒山を合せて出羽三山と総称します。出羽三山の主峰である月山の北西山麓に位置する羽黒山は標高414mの丘陵。山頂には三山の神を祀る三神合祭殿があり、そこへ至る参道は、全長約1.7km、2446段の長い石段で山頂まで徒歩約50分。両側には樹齢350〜500年の杉並木が続きます。
隋神門
隋神門(ずいしんもん) 隋神門は『神域に邪悪なものが入り来るのを防ぐ御門の神をまつる門』のこと。出羽三山の神域の表玄関であり、神域はこの門の内より遠く月山を越え、湯殿山まで広がります。初め『仁王門』として元禄年間に秋田矢島藩主より寄進されましたが、明治の神仏分離により仁王像は麓の正善院黄金堂に移され、新たに随身像を祀り、随神門と名付けられました。羽黒山はこの門より2,446段の石段がはじまります。
継子坂
継子坂 随神門をくぐりるとまず下りの石段となっていて、下りきると全部で6個の末社が建ち並らびます。この坂は継子坂といい、その名は、昔意地悪な女が小さかった継子をこの階段のほとりに捨てたところ、母を捜して小さな足跡を残したという昔話に由来するそうです。
末社
出羽三山の開山 開山は約1,400年前、第32代崇峻天皇(すしゅんてんのう)の皇子である蜂子皇子(はちこのおうじ)(562〜641年)が三本足の霊烏に導かれ、羽黒山に登拝し、羽黒権現を獲得、山頂に祠を創建したのが始まりとされます。皇子はさらに月山権現と湯殿山権現を感得し三山の開祖となりました。以来、修験道を中心とした山岳信仰の場として現在も多くの修験者、参拝者を集めています。
祓川(はらいがわ)と神橋(しんきょう)
ミシュラン・グリーンガイド レストラン格付けガイドで知られるミシュラン社は、観光ガイド日本編『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』も発行しています。評価は、『星なし』から、一つ星の『興味深い』、二つ星の『寄り道する価値がある』、三つ星の『わざわざ旅行する価値がある』の4段階です。羽黒山では、羽黒山自体と五重塔、斎館、三神合祭殿が2つ星、 杉並木が3つ星(★★★)に選ばれています。
須賀(すが)の滝
祓川と神橋 末社が建ち並ぶ中を進むと、祓川(はらいがわ)に掛かる神橋(しんきょう)に出る。戦後間もない頃まで三山詣での人々は必ず祓川の清き流れに身を沈め、水垢離(みずごり=神仏に祈願するため、冷水を浴びて体のけがれを去り、清浄にすること)を取って三山への登拝の途についたといわれます。老杉の緑の中で朱塗りの橋は美しい。
額の花
須賀の滝 そして、橋の右手向かいの懸崖から落ちる須賀(すが)の滝の景観も清々しく美しい。滝は承応3年(1654)時の第50代別当・天宥が月山の山麓水呑沢より約8kmの水路を引いてつくった人工の滝で、当時は不動の滝と名付けられていました。参道の脇には、水垢離衣の白さを思い起こさせる額の花が咲いていました(写真下)。
爺スギ
羽黒山の爺スギ 五重塔の手前にあります。推定樹齢1000年以上で、根周り10.5m、幹囲8.25m。羽黒山で最大最古の巨木。昭和26年(1951年)国指定天然記念物。かつて、これと並んで付近に婆杉がありましたが、明治35年(1902年)の暴風によって倒れました。
国宝・羽黒山五重塔
国宝・羽黒山五重塔 東北地方では最古の塔といわれ、昭和41年(1966年)に国宝に指定された。平安時代中期の承平年間(931〜938年)平将門の創建と伝えられているが定かではありません。現存する塔は、応安5年(1372年)に羽黒山の別当職大宝寺政氏が再建したと伝えられいます。総高約29.2m、塔身高(相輪を除く)は22.2m。屋根はこけら葺き、様式は純和様で、塔身には彩色等を施さない素木の塔です。
国宝・羽黒山五重塔
明治時代の神仏分離により、羽黒山内の寺院や僧坊はほとんど廃され、取り壊されたが、五重塔は取り壊されずに残された数少ない仏教式建築の1つである。近世までは塔内に聖観音、軍荼利明王、妙見菩薩を安置していたが、神仏分離以後は大国主命を祭神として祀り、出羽三山神社の末社・千憑社(せんよりしゃ)となりました。
五重塔を過ぎると『一の坂』
羽黒山のスギ並木 隋神門から羽黒山頂までの1.7kmの参道の両側に建ち並ぶスギ並木は、右側284本、左側301本の総数585本。推定樹齢300年から500年を超える老杉で、慶長初期から寛永(1596〜1643年)にかけて、第48代宥源・第49代宥俊・第50代天宥の3代にわたる別当が十数年の歳月をかけて植林したものです。国特別天然記念物。
大きな老杉を縫って参道は続きます。
羽黒山の石段 慶安(1648年〜)の前後13年の歳月をかけ、第50代天宥別当が一の坂下の大直日神社から八幡神社の上までの約1.2kmに石段を築いた。その費用は参詣者や信者の寄進と山内の規則を破った者の罪の代償によります。かつて観音菩薩を祀った由緒から石段には33個の彫り物が刻まれ、すべて探せば大願が成就するといわれています。
『二の坂』
二の坂 羽黒山石段参道には、一の坂、二の坂、三の坂と3つの急な上り坂がありますが、そのうちのもっとも長く、急なのが二の坂。昔は油のような液体は、てんびん桶を担いで登ったわけですが、あの武蔵坊弁慶すら、この坂あまりの勾配に奉納する油をこぼしてしまったとことから別名を『油溢し(あぶらこぼし)』というそうです。
二の坂茶屋
二の坂茶屋 そんな二の坂を登りきった左手にある『二の坂茶屋』は、江戸時代から続く、登拝者たちにとって元気をくれるかけがえのない店。視界も開け、庄内平野を眺めながら、手づくりの力餅やお抹茶を頂けます。お願いすれば石段踏破の認定証を発行してくれるそうです。
二のさ『二の坂』をのぼり切ってなだらかに
四季の峰 羽黒山では明治五年(1872)の修験宗廃止令が出されるまで四季の峰といって、年に四回入峰修行が行われていたそうです。春の峰は、冬の峰で育てた穀霊を大先達寺の僧侶だけが集まってお祭りし、稲作の豊作を祈願する予祝行事で、新春を寿ぐ儀礼でした。
そして、『三の坂』
夏の峰は、道者自身が擬死再生の儀礼を通し、自己の生命の若返りをはかるとともに、祖霊をまつりなぐさめる峰でした。秋の峰は、修験者となるための修行で、衆生済度に重きを置きました。そのため専門の修験者を養成する行で、諸国山伏出世の峰と呼ばれました。
頂上までもう少しです
秋の峰における出世は、俗世間を脱するという意味ですが、秋峰を重ねることによって位階昇進の許しを受けることから、立身出世の意味も含んでいました。冬の峰は、稲を主とする五穀に穀霊の発現を待つための物忌みの行で、松聖と呼ばれる二人の山伏が自宅に祭壇を構え、五穀を納め、99日間にわたりひたすら祈りと籠りの行を行いました。
松斎館(旧華蔵院)
斎館(旧華蔵院) 三の坂を登りきると間もなく左手にあります。もとは華蔵院といい、正穏院、智憲院と共に三先達寺院の一つで、羽黒山執行別当に次ぐ宿老の住した寺でしたが、明治の神仏分離の際に斎館(さいかん=神官などが参籠して潔斎などをする建物)として残りました。増改築を施された現在の建物は、主に講中や一般参拝者の宿泊所、精進料理の食事処として利用されています。
山頂鳥居
頂上鳥居 参道の石段の尽きるところにある朱の鳥居です。もとは江戸講中より寄進された青銅の鳥居がありましたが戦争で供出された跡に庄内の生徒や学童の寄付によって建立されたものです。鳥居の手前の坂を十五童坂といい、坂の左右には貫主の住んだ執行寺跡などが在りました。
三神合祭殿と鐘楼
三神合祭殿と鐘楼 三神合祭殿は、中心建築として山頂の平坦地に、鏡池に南面して建っており、鐘楼は三神合祭殿の東南に位置します。三神合祭殿は後方にある本殿、前面の拝殿が一体となった複合建築であり、文化8年(1811年)に焼失後、文政元年(1818年)に完成しました。近世初期以来の特異な形式を伝える、類例の数少ない修験関係の建築として貴重。鐘楼は、切妻造りの萱葺きで小さいながら豪壮な建物。最上家信の寄進で元和4年(1619年)再建。山内では国宝五重塔に次ぐ古い建物であり、鐘は建治元年(1275年)の銘がある、古鐘では、東大寺・金剛峰寺に次いで古、くかつ大きいそうです。
三神合祭殿正面
三対扁額(湯殿山神社・月山神社・出羽神社) 出羽神社(いではじんじゃ) は伊氏波神(いではのかみ)と稲倉魂命(うかのみたまのみこと)を、月山神社(がっさんじんじゃ)は月読命(つくよみのみこと)を、湯殿山神社(ゆどのさんじんじゃ)は大山祇命(おおやまづみのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀っています。
新徴屋敷
鏡池 三神合祭殿のすぐ前にある、東西38m・南北28mの楕円形の池。昔は御手洗池と呼ばれていました。池そのものが神霊と考えられ、篤い信仰の捧げられた池で、古来より多くの人々により奉納された銅鏡が埋納されていることから『鏡池』といわれるようになりました。これまでに、平安・鎌倉、江戸時代中期までの鏡が発掘され、そのうち190面が出羽三山歴史博物館に収蔵されています。
松尾芭蕉像
松尾芭蕉像 俳聖『松尾芭蕉』は、元禄2年(1689年)年、羽黒山南谷に滞在し出羽三山を巡り、多くの名句を残しました。その『奥の細道』の聖地は、多くの俳人たちに愛されて現在に受け継がれ、昭和31年(1956年)に高浜虚子翁の来山を機に、昭和34年(1959年)から羽黒山全国俳句大会が開催されています。『凉しさやほの三日月の羽黒山 芭蕉』。 末社(写真下) 出羽三山には、羽黒を始め月山、湯殿山の山嶺、または幽谷に多数の末社が散在しています。写真の末社は左から大雷神社、健角身神社、稲荷神社、大山祗神社、白山神社、思兼神社、八坂神社。
末社
【参考サイト】
(1)出羽三山神社 公式ホームページ
(2)羽黒の見どころ 羽黒山 - 山形県鶴岡市観光連盟
 
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