郡山八幡神社/菱刈(ひしかり)氏の始祖菱刈重妙が、建久5年(1194年)に領内を巡視のとき一老翁に会い、「われは豊前の宇佐八幡である。われをここに祭れば汝の子孫を守護し、その栄福を祈るであろう。」といわれ、その言葉を信じて豊前宇佐八幡の神霊を勧請し、建立したのが、この神社と語りつがれています。
焼酎の落書き/室町時代の永禄2年(1559年)は、織田信長が桶狭間(おけはざま)の合戦で今川義元を破った前年であり、この年に社殿を修補した大工が書きしるしたと思われます。「こす」とは、方言で「けち」という意味です。「座主(ざす)」とは、大寺の寺務を統括する主席の僧職のことです。「社殿修補のとき、座主がたいそうけちで、一度も焼酎を飲ませてくれない。えらい迷惑なことだ!」と訴えています。(※写真は、大口市焼酎資料館木樽に陳列してある複製のものです。)
南九州では、上棟式とかお花見とかの祝い事や神事の寸志には、決まって焼酎が使われてきました。焼酎一本、焼酎一杯がコミュニティの潤滑油としての役割を果たしてきたのです。4百数十年前もそうだったのでしょう。焼酎の落書きを書いたのは、おそらく棟梁あたりでしょう。もちろん自分も飲みたいが、大工たちをねぎらってやれない迷惑を嘆いているのでしょう。嘆きが伝わってくるようです。
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