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旅行記 ・郡上八幡を訪ねて − 岐阜県郡上市 2016.08.04
 
ぐじょうはちまん
郡上八幡
郡上八幡城から望む郡上八幡の町並み
郡上八幡 岐阜県のほぼ中央に位置する『郡上八幡』(ぐじょうはちまん)は、岐阜県郡上市八幡町(旧・郡上郡八幡町)の通称です。長良川とその支流である吉田川の合流点付近に市街地が開け、町のあちこちに水路があることから『水のまち』として呼ばれ、そして郡上八幡といえば『郡上おどり』です。
吉田川沿いの家並み(新橋の上流)
16世紀後半に遠藤盛数が八幡城を築城。その後、稲葉氏、再び遠藤氏、井上氏、金森氏、青山氏の治世を経て、廃藩置県により郡上郡となりました。古くから郡上郡の政治・商業などの中心地として栄え郡上市となった今も市役所や県の出先機関がおかれており、郡上地域の中核を担う町となっています。
吉田川沿いの家並み(新橋より下流を見る)
飛騨高地の南部に位置する八幡町は、長良川が町域を北から南に貫流し、町の東西の山地から長良川最大の支流である吉田川が流れ込み、集落はその2つの川沿いに形成されており、長良川と支流の吉田川の合流点付近が市街地になっています。吉田川の流れは、川底の石が数えられるほど透きとおっています。川と山が町の人々の暮らしと一体となった風景があります。
郡上八幡旧庁舎記念館
郡上八幡旧庁舎記念館 町の中心部、新橋の南のたもとにあるレトロな建物。現在は観光案内所や休憩所となっており、郡上おどりの体験や食事もできます。昭和11年(1922年)に建てられた二階建ての洋風建築で、平成6年(1994年)まで郡上郡八幡町役場の本庁として使われてきました。平成10年(1998年)『国の登録文化財』に指定されました。
いがわこみち
いがわこみち いがわ小径は、郡上八幡旧庁舎記念館の横一帯の民家に囲まれた用水路沿いの幅1m、長さ119mの小さな生活道路。用水路は、周辺の有志の人たちによって自主的に管理されていて、鯉や岩魚(いわな)、あまご、サツキマスなどは放流されていて、訪れる人たちの目を楽しませてくれます。
用水路に設けられた共同洗い場
この用水(島谷用水)は、市街地へと続いており、南側地域の防火用水として重要になっているとともに、地元の人たちが洗い場組合をつくり、洗濯物のすすぎ、芋洗いや季節ごとの菜っ葉洗いなど生活の一部として利用してきましたが、最近は観光客の目に晒されるのであまり使われなくなっているとか。
郡上一揆ゆかりの左京稲荷
左京稲荷 このあたりは旗本3千石・金森左京の屋敷跡で、左京町と言われています。金森左京は元郡上藩主・金森頼錦の分家で、本家が宝暦の百姓一揆で断絶したとき一族でただ一人特に存続を許され明治維新まで栄えました。この稲荷神社は幸運児金森左京の守護神であり、現在でも一家の繁栄を願う多くの人々から崇敬されています。
郡上本染めの渡辺染物店
郡上本染 郡上八幡の特産の染物で藍染めの一種。安土桃山時代、江戸時代初期から始まり、400年以上の歴史を有します。大正時代は17軒の紺屋(藍染専門店)がありましたが、現在は渡辺染物店1軒が残るのみ。その仕事場と道具一式は、昭和52年(1977年)に岐阜県重要有形民俗文化財に指定されました。
橋本町の願蓮寺と門前通り
郡上紬 八幡町で織られている紬織物があったのですね。郡上紬(ぐじょうつむぎ)という名称は、古くからあったものではなく、第二次世界大戦後につくられた比較的新しいものです。郡上八幡の農家では昔から屑繭(くずまゆ)をためて紡ぎ、手機(てばた)で織る自家用の紬が織られていました。
新町通り商店街
『地織り』と呼ばれ、普段着であったこの紬は、明治時代以降衰退の一途をたどっていましたが、八幡町出身の宗広力三氏(1914年〜1989年、人間国宝)によって新たな技法が生み出され、今日の郡上絣が再興されました。郡上紬の特徴は、着心地が良いことと多様な柄の美しさだそうです。
地酒『積翠』の平野本店
奥美濃の小京都 郡上八幡は狭い町ながら13もの寺院が甍を連ね、郡上八幡が『小京都』と呼ばれるゆえんの一つになっています。また、橋本町の願蓮寺、職人町の長敬寺や大手町の安養寺など、辻の突き当りに寺が配置されていますが、これは城下の防禦を目的としたものでした。
本町に提げられた提灯
今回訪ねた郡上八幡は『郡上おどり』の期間中で、街角のあちこちでの幟や提灯を目にし、夜になると行燈に『郡上おどり』の文字が浮かび上がります。印象的だったのは、吉田川によって東西に走る新町商店街の吹き流しの幟、そして吉田川を渡って目に入った本町の大きな提灯でした。
 
宗祇水
宗祇水(そうぎすい) 八幡町本町にある湧水で、雲水(はくうんすい)とも言われます。昭和60年(1985年)に名水百選の第1号に指定されてました。岐阜県指定の史跡にも指定され、郡上八幡(郡上市)は人と自然が調和した交流文化のまちとして水の郷百選に選定されていて、宗祇水は名水スポットの一つになっています。
宗祇水
江戸時代には、郡上藩主金森頼錦や遠藤常友等らによって泉の保存と古今伝授が顕彰され、石の水場が整備されました。水場は、湧口の方から水源、飲料水、米等洗場(スイカ冷やしに利用)、さらし場(桶等をつけておく)と取り決めがあります。大正6年(1917年)に有志が集まり宗祇水奉賛会を結成、史跡保存に努めています。
宗祇水への石畳小道
本来この場所は由緒正しき史跡で、宗祇水の名は室町時代の連歌師・飯尾宗祇(いいお そうぎ)に由来します。文明3年(1471年)宗祇が郡上の領主である東常縁(とう つねより)から古今伝授を受けて京へ戻るとき、当時の二大歌人であるふたりが、この泉のほとりで歌を詠み交わしました。
本町通りにて 
郡上八幡北町伝統的建造物群保存地区 八幡城の城下町のうち、東西に流れる吉田川の北側を北町、南側は南町と称されています。旧城下町は明治時代に入ってからも昔ながらの町家が数多く残されており、そのうち北町の大手町の全域並びに柳町、職人町、鍛冶屋町、殿町、本町、桜町など約14.1ヘクタールが、2012年、重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
職人町通りの街並み(突き当りが長敬寺)
郡上八幡北町の重要伝統的建造物保存地区は、『町家と水利施設が一体となって歴史的風致を伝えている』のが特徴で、岐阜県内では郡上八幡のほか、隣りの美濃市の『うだつのあがる歴史的町並み』、『城下町飛騨高山の町並み』そして『白川郷、五箇山の合掌造り集落』が重要伝統的建造物保存地区に選定されています。
鍛冶屋町の町並み
袖壁 郡上八幡の町並みの特徴のひとつに隣家との間に設けられた『しきり』があります。 袖壁と呼ばれるもので、屋根の軒出しを支えるとともに長屋のように密接した家々の防犯や延焼を防ぐための仕切りになっています。 郡上八幡北町伝統的建造物群保存地区内には、袖壁が連続する古い町並みを見ることができます。
大手町の通り(突き当りは安養寺)
御用用水 城下の碁盤の目の町割りにそって縦横に流れる清冽な用水は、寛文年間(1660年頃)に城下町の整備をすすめた城主の遠藤常友が防火の目的のため4年の歳月をかけて築造したものです。御用用水は、その主幹水となって城下の下御殿や家老屋敷にも水を供給したことからこの名があります。
大手町通りの老舗
水舟 郡上八幡特有の水利用のシステムです。湧水や山水を引き込んだ二槽または三槽からなる水槽のうち、最初の水槽が飲用や食べ物を洗うのに使われ、次の水槽は汚れた食器などを洗うのに使われます。そこで出たご飯つぶなどの食べ物の残りはそのまま下の池に流れて飼われている鯉や魚のエサとなります。
長敬寺と水舟
すなわち、水舟から排出された水は自然に浄化されて川に流れ込むしくみになっています。水舟のほとんどは個人の家の敷地内にあるのでなかなか目にふれることはありませんが、観光用のものが町のあちこちに設置されており、町歩きの観光客が乾いたノドをうるおす光景を目にすることができます。
水舟
柳町用水 鍛冶屋町、職人町を南北に走る御用用水と平行して柳町を流れる用水が柳町用水で、各家々はそれぞれが持っている堰板をはめこんで水位を上げ、洗い物などをします。当番制による水路掃除はもとより、水をはぐくむ山林管理や水路の維持にいたるまで厳しいルールが設けられてこの伝統が守られてきています。
上柳町の通りと用水路 
郡上おどり
郡上おどりの行燈
郡上おどり 『郡上の八幡出てゆく時は、雨も降らぬに袖しぼる・・・』の歌詞で知られる『郡上おどり』は、岐阜県郡上市八幡町(旧・郡上郡八幡町、通称『郡上八幡』)で 400年にわたって開催されている伝統的な盆踊り。日本三大盆踊り、日本三大民謡(郡上節)に数えられています。
踊りの会場(大手町)に向かう浴衣姿
江戸時代に城主が士農工商の融和を図るために、藩内の村々で踊られていた盆踊りを城下に集め、盆の4日間は身分の隔てなく無礼講で踊るがよいと奨励、年ごとに盛んになったものだそうです。7月9日のおどり発祥祭にはじまって、9月3日のおどり納めまで32夜をおどりぬく日本一ロングランの盆踊り、郡上八幡の夏はおどりとともに始まり、おどりとともに終わるわけです。
囃子方の乗った屋形
おどりの会場 会場は城下の町並み通りや辻の広場あるいは神社の境内などひと晩に一ヶ所ずつ、町内それぞれの縁日祭りにちなんでおこなわれ、ひと夏に一巡します。クライマックスは、8月13、14、15、16日の4日間おこなわれる徹夜おどりです。開催時間は平日と日曜日が大体8時から10時半、土曜日は8時から11時までが基本です。
屋形の周りで踊る人(大手町、城山地蔵祭)
おどり発祥祭 2016年7月9日(土)。おどり発祥祭は、郡上おどりの継承と期間中の安全を祈願する神事の後、おどり流しのおどり屋台が踊り子に囲まれて町のめぬき通りの今町、新町をゆったりと流して進みます。会場の郡上八幡旧庁舎記念館前広場に到着すると待ちかねた人々が幾重にも輪をひろげてゆきます(2016 郡上八幡観光協会の公式サイトより)。
屋形の周りで踊る人
大手町・城山地蔵祭 本ホームページの管理者が訪ねた2016年8月4日(金)は、大手町、城山地蔵祭でおどられました。城下の平穏を見守る城山地蔵尊の例祭です。会場となる大手町の古い家々の軒先にはちょうちんが吊るされ、通りのあちらこちらに行灯飾り。狭い通りながらも風情あふれるおどりの夜になります(2016 郡上八幡観光協会の公式サイトより)。
屋形を見上げる
おどり納め 2016年9月3日(土)。シーズンの締めくくりとなる名残りの一夜は町の中心にあたる新町から今町で開催です。11時になるとおどり屋形は無数のほおづき提灯の灯りに見守られながらゆっくりとおどりの輪から離れてゆきます。地元の者も観光客も一体となって最後のおどりを惜しむ哀調あふれるひとときです(2016 郡上八幡観光協会の公式サイトより)。
屋形の囃子方
10種類のおどり 種類が多いのも郡上おどりの特徴で、全部で10種類。これは、江戸時代に郡上の藩内のあちこちの村に伝わっていたおどりを城下に集めておどらせたためといわれます。最初にはじまるのが「郡上の八幡出てゆく時は、・・・」 の歌詞で知られる『かわさき』。次に活きのいいアップテンポな『春駒』。『三百』はちょっと間違えやすい踊り。
飛び入りも大歓迎
ユニークな名前の『やっちく』『げんげんばらばら』と続き、『猫の子』『さわぎ』『郡上甚句』『古調かわさき』。最後は、単調な節回しでありながらしみじみとした情感をただよわせ『松阪』。踊りの衣装は浴衣がおススメですが、特に規定はなく、郡上おどりは、誰でも気軽に参加でき、とにかく『踊って楽しむ』のが最大の魅力。』
とにかく『踊って楽しむ』のが郡上おどりの魅力
 郡上八幡城
日本最古の木造再建城『郡上八幡城』
郡上八幡城 戦国時代末期の永禄2年(1559年)に遠藤盛数が砦を築いたのが郡上八幡城の起源。稲葉貞通、遠藤慶隆の興亡を経て、寛文7年(1667年)、6代城主遠藤常友の修復によって幕府から城郭として認められる。その後、井上氏・金森氏が相次いで入部。宝暦の一揆騒動で金森氏が改易された後、丹後国宮津藩から青山幸道が転封し殿町に居館が築かれました。
 郡上八幡城
明治4年(1871)の廃藩置県とともに廃城となった城は、翌年から石垣を残してすべて取りこわさました。現在の天守は、大垣城を参考に、昭和8年(1933年)に木造で造られました。天守は現存する木造再建城としては日本最古となっています。通称『積翠城』(せきすいじょう)とも呼ばれています。
郡上八幡城(国道256号線の堀越峠手前からの眺め)
山城であり、市街地を流れる吉田川のほとりにそびえています。城自体は小規模ですが、城下から眺める城の風景や、城から見下ろす城下町のたたずまいは大変美しい。作家司馬遼太郎は『街道をゆく』で『日本で最も美しい山城であり・・・』と称えています。また、朝霧に浮かび上がる八幡城は『天空の城』として話題となりました。
郡上八幡城と町並み
【参考サイト】 
郡上八幡へようこそ [郡上八幡観光協会]
 
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