♪恋のアランフェス(Adagio)
MIDI クラシックギター

  
   旅行記 ・アプガン砦とスペイン広場 − グアムの風景 (2)  2008.12
グアム
アプガン砦
アプガン砦から望むアガニア湾
美しいアガニア湾やハガニア市街を眺める高台の景勝地にあるのがアプガン砦。スペイン統治時代の1800年頃にチャモロ族の大反乱に対してスペイン軍の拠点となった砦です。スペイン総督マニュエル・ムロは、自ら築いたこの砦に、妻ドナ・アグエダ・デル・カミーナの名を付けたことから、別名を『サンタ・アグエダ砦』ともいいます。
 
アプガン砦
1898年にアメリカ領となってからは、海軍はこの砦を通信拠点として使い、のちに海軍の公園に整備されましたが、太平洋戦争時には、日本軍が砲台として使用しました。今も階段のコンクリートには、『空警備隊』と刻まれた日本語文字が残されています。
        
大砲のレプリカ
今では、白亜のアガニア大聖堂やスペイン広場、美しいアガニア湾など、アガニア全景を見渡せる、グアムを代表する展望台となっています。三基の大砲のレプリカが置かれていました(写真)。
        
スペイン広場
ガーデン・ハウス
1521年、世界一周航海の途中でマゼランがグアム島を発見して上陸したことがきっかけで、世に知られるようになったグアムですが、1565年にスペインが統治を宣言。1898年、米西戦争(べいせいせんそう)によってアメリカ合衆国に割譲されるまでの333年もの長きにわたってスペインによる統治が続きました。
        
ガーデン・ハウス
ガーデン・ハウスは、スペイン統治時代、仕事道具などをしまう物置でしたが、アメリカ統治時代には学校の校舎となり、1954年以降はグアム博物館にされていたそうです。
      
総督邸を取り囲んでいた塀
スペイン広場は、1736年から1898年にかけてスペイン総督邸が建っていたところです。建物のほとんどは太平洋戦争時に破壊されてしまいましたが、今も残る旧跡に当時の面影が偲ばれます。
         
塀を潜って総督邸へスペイン総
常夏の島、グアム。その海の青さ、空の青さの中にあって、古びたスペイン調の建物や塀の旧跡はいかにも印象的です。100年以上の歳月の流れを物語り、郷愁を誘います。
          
スペイン総督邸跡
スペイン統治時代にカサ・ゴビエルノと呼ばれていた総督のパレスは、総督の役所及び公邸で、1736年に建造されたものでした。2階建てのマンポステリア様式の建物で、瓦葺きのカンテレバーのバルコニーが特色だったそうです。1944年に全壊しましたが、その基礎の一部が今も残されています(写真上)。
          
チョコレート・ハウス
総督邸跡の向かいの中庭に復元された円形状の建物は、『チョコレート・ハウス』と呼ばれる建物で、その昔、総督夫人が屋敷を訪れる客人をチョコレート・ドリンクでもてなしたことからこの名が付けられました。典型的なスペイン建築です。
アルマセンのアーチ
珊瑚石で造られたこの三連のアーチは、『アルマセンのアーチ』と呼ばれます。アルマセンは、スペイン語で兵舎や武器・弾薬などを保管する武器庫を意味し、三連のアーチは武器庫への入口でした。
      
武器庫(アルマセン)を囲む塀
タモン地区のビーチや繁華街と異なり、ハガニア地区はグアムの政治や経済の中心地で、政府関連の施設やスペイン広場、アプガン砦など、グアムの歴史に触れられる地区です。アクセスは、ラムラム路線バス(赤いトロリー)のアガニャベイコースを利用してハガニア大聖堂のバス停で降りると便利です。
              
珊瑚石の塀と大砲のレプリカ
武器庫の珊瑚石塀と木陰に置かれた大砲のレプリカの風景は、小さな島ながら、スペイン、アメリカ合衆国そして日本軍と、いくつかの国に支配され、あるいは領土となったグアムの歴史を無言のうちに物語っているかのようでした。
          
ハガニア大聖堂バリシカ
青空にそびえ立つ鐘楼が美しい、白亜の大聖堂は、『ハガニア大聖堂バリシカ』。聖母マリア大聖堂とも呼ばれ聖母マリア像が安置されています。グアムで最も大きくて格式のあるカトリック教会で、グアムのカトリック教信仰の中心となっています。
              
ハガニア大聖堂バリシカ
1669年に建立されましたが、相次ぐ天災や戦争で破壊され、再建・改修を繰り返し、現在のものは1958年に完成したものです。出入口の左右とその上方に設置されたステンドグラスは、緻密でとても素晴らしいものです。
              
ラッテ・ストーン公園
ラッテ・ストーン
スペイン広場のすぐ隣りにあるラッテ・ストーン公園に置かれた『ラッテ・ストーン』は、高さ2mほどのキノコのような形をした石柱で、古代チャモロ人によって数千年前に造られたと伝えられるものですが、その使用目的は未だ解明されておらず謎のままですが、家屋の土台だったという説が有力なようです。ラッテ・ストーンの背後の崖には旧日本軍が造った防空壕(通信基地と刑務所に使用)の跡があります。
           
恋人岬
恋人岬の展望台(左)とモニュメント(右)
スペイン統治時代に、チャモロの美しい娘が、結婚を迫るスペイン人総督から逃れ、チャモロ人の恋人と永遠の愛を誓い、髪を結びあってこの岬から身を投げた、という悲恋伝説からこの名が付けられました。タモン湾の北端に突き出す岬で、グアムのシンボルともいえる観光のハイライトです。海抜123メートルの断崖になっており、展望台からは、タモンの美しい海岸線をはじめ、イパオ岬、オロテ岬までを一望のもとに見渡すことができます。
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