レポート  ・グアムについて   
− グアムについて −
日本の南東約 2,500キロメートルに位置するグアムは、日本の淡路島とほぼ同じ広さ。車でノンストップだと2時間で周囲を回れる島です。飛行機で3時間半程度で行ける気軽さもあって、日本に一番近いアメリカのリゾート地として日本人に人気の島です。
 
人口16万4千人近くのうち、チャモロ人47%、フィリピン人25%、白人10% 華人・日本人・韓人・その他18%の構成になっています。1980年代前半までは、アメリカ軍の基地関連産業とアメリカ政府からの補助金への依存度が高かったですが、近年は観光業が産業の大部分を占め、島民の約60%が観光業に従事しているといわれます。
 
年間 100万人以上の観光客が訪れますが、観光収入の9割以上が日本からの観光客によるもので、日本への依存度が高いわけです。ですから、日本語でほとんど不自由なく旅行が出来、日本円で買い物ができる店も多く。レンタカーも日本の運転免許証があれば貸してくれます。
 
グアム島に人類が住み着いたのは紀元前3000年〜2000年頃で、チャモロ人がマレーシアやインドネシア、フィリピンから航海カヌーに乗って移住してきたことに始まると考えられています。グアムが世界に知られるようになったのは、1521年、世界一周航海の途中でマゼランがグアム島を発見して上陸したことがきっかけでした。
 
その後、スペイン、ポルトガル、イギリス、オランダ等の探検隊が訪れ、1565年にはスペインが統治を宣言。以降、 333年もの長きにわたってスペインによる統治が続きました。アプガン砦や、スペイン広場のスペイン総督邸跡、チョコレート・ハウスなどに、スペイン統治時代の面影を見ることができます。スペイン統治に伴って、イエズス会(カトリック教会)が布教活動をはじめるようになり、以後、キリスト教文化が定着するようになりました。
 
1800年代に入ると、経済的発展や領土拡大のため、欧米諸国が太平洋地域に目を向けるようになり、1898年にアメリカ合衆国とスペインの間で、米西戦争(べいせいせんそう)勃発。この戦争で勝利したアメリカが、カリブ海および太平洋のスペインの旧植民地に対する管理権を獲得したことにより、同年、グアム島はフィリピン、プエルトリコとともにアメリカに割譲されました。
 
1941年12月8日、日本軍の真珠湾攻撃により太平洋戦争が勃発。日本海軍は、真珠湾攻撃の5時間後にグアムへの航空攻撃を開始し、同月10日には日本が占領。日本軍統治時代には『大宮島(おおみやじま)』と呼ばれていましたが、1944年8月にアメリカが奪還し、以後、戦争終結までアメリカ軍の日本本土の爆撃拠点として活用されました。
 
現在は、アメリカ合衆国の準州(自治区)で、合衆国議会下院に、本会議での議決権のない代表を1名送り出していて、また大統領選挙の参政権は持っていません。自主憲法草案が上程されましたが、住民投票で否決。その後もアメリカ政府による独立や自治の勧告は無視して、大国アメリカとの特権的な関係から得られる利益を選んでいるそうです。
 
グアムの地元民の主食は、なんと米(ただし、カリフォルニア米かタイ米)で、調味料として日本の醤油は必需品で、キッコーマンが人気だそうです。スペイン統治時代の遺跡であるアプガン砦で、屋台屋がヤシの実を売っていました。ストローを使って中の果汁を飲み終わると、実をスパッと半分に割ってナイフで果肉を削ぎ取ってくれ、醤油にS&B(ヱスビー)のワサビを付けて食べさせてくれました。なんと、イカの刺身そっくりの味でした。
 
美味しいヤシの実汁
 
果汁を飲み終わると、半分に割って
 
ワサビ醤油で食べるヤシの果肉さしみ
 
【参考にしたサイト】
[1]グアム − ウィキペディア
[2]グアム政府観光局公式サイト → http://www.visitguam.jp/
 

2008.12.24
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