♪花の歌(ランゲ)
ぴあんの部屋
其中庵 〜 山頭火を歩く(5)− 山口市
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熊本県植木町の味取観音堂の堂守を一年でやめ、あてのない放浪の旅にでた山頭火は、その後、草庵と行雲流水の放浪の旅を繰り返しながら俳句に人生を託します。山頭火は生涯に四度庵を結んでおり、二度目に結んだのが生れ故郷の防府に近い小郡町矢足(現山口市)の其中庵(ごちゅうあん)でした。新山口駅北口より徒歩20分の山裾の小高い、かつて其中庵があった地は其中庵公園とされ、平成4年(1992年)に当時の建物が復元されました。防府を訪ねたあと、其中庵に立ち寄ってみました。                   (旅した日 2008年03月)


山頭火立像
まったく雲がない笠をぬぎ
新山口駅(旧小郡駅)南口広場に建つ山頭火立銅像。山口中央ライオンズクラブ20周年記念事業として1991年3月建立。『まったく雲がない笠をぬぎ』の句は、昭和5年に旅の途中、晴天の下で、網代笠をとり、ひと休みしたときに詠んだもので、直筆を復元して台座に刻まれています。


其中庵(ごちゅうあん)
其中庵は、山頭火が昭和7年9月から昭和13年10月まで暮らした庵である。作句と行乞(ぎょうこつ)の旅に生きながらも安住の地を探していた山頭火は、小郡(おごおり)に住む俳友、国森樹明、伊東敬治らのすすめによってこの地に庵を結んで、多くの俳友と交流を深めた、山頭火は、近郊を行乞しながら、この其中庵で、『三八九』(さんぱく)第四、五、六集、句集『草木塔』、『山行水行』、『雑草風景』、『柿の葉』などを発行し、最も充実した文学生活を過ごしたが、庵の老朽化に耐えず、山口市に居を移した。現在の其中庵は、平成四年三月に当時の建物を復元したものである。〜現地案内板より

       其中庵のいわれ

山頭火が好んだ言葉に、法華経の普門品第二十五にある『其中一人作是提言(ごちゅういちにんさくぜしょうげん)』という一節があります。意味は、災難や苦痛に遭ったとき、その中の一人が『南無観世音菩薩』と唱えると観世音菩薩は、直ちに救いの手を差し伸べられて、皆を救われ、悩みから解き放たれるということで、山頭火は、結庵するときには、庵名をその一節の中の『其中』にすると決めていました。『其中一人』と書かれた書(写真上)が掛けられていました。
                           移ってきてお彼岸花の花さかり
                           この柿の木が庵らしくするあるじとして
                           雪ふる其中一人として火を燃やす
空へ若竹のなやみなし 昭和七年九月二十日、私は其中庵の主となつた。私が探し求めてゐた其中庵は熊本にはなかつた。嬉野にも川棚にもなかつた。ふる郷のほとりの山裾にあつた。茶の木をめぐらし、柿の木にかこまれ、木の葉が散りかけ、虫があつまり、百舌鳥が啼きかける廃屋にあつた。廃人、廃屋に入る。それは最も自然で、最も相応してゐるではないか。水の流れるやうな推移ではないか。自然が、御仏が友人を通して指示する生活とはいへなからうか。今にして思えば、私は長く川棚には落ちつけなかつたらう。川棚には温泉はあるけれど、ここのやうな閑寂がない。しめやかさがない。私は山を愛する。高山名山には親しめないが、名もない山、見すぼらしい山を楽しむ。ここは水に乏しいけれど、すこしのぼれば、雑草の中からしみじみと湧き出る泉がある。私は雑木が好きだ。この頃の櫨の葉のうつくしさはどうだ。夜ふけて、そこはかとなく散る葉の音、をりをり思ひだしたやうに落ちる木の実の音、それに聴き入るとき、私は御仏の声を感じる。
  
    『山頭火句集』(村上護編/ちくま文庫)より
いつしか明けてゐる茶の花
其中庵の井戸
其中庵のほとりにあるこの井戸(写真上)は、雨乞(あまごい)山からの水脈にあたり、深くはないが清い水が常に湧いていた。山頭火は、庵を構える場所の条件の一つに、水の良いところをあげていたが、其中庵の周辺の水は、遠方から茶席用にくみにくるほど味のよい水だったたという。雨の翌日などは濁り、隣りからもらい水をしていたというが、日々の山頭火の生活を支える水はこの井戸から得られた。

                           やつと戻つてきてうちの水音
                           朝月あかるい水で米とぐ
                           いま汲んできた水にもう柿落葉
  









  母









かなしい さびしい供養碑
  (其中庵休憩所、写真上)

原句の前書きには、母の四十七回忌とあり、昭和13年3月6日、其中庵での作とされる。経本仕立ての第六句集『孤寒』には、『うどん供えて、母よ、わたしもいただきまする』とある。山頭火の幼くして失った母を慕う気持ちは生涯かわることなく、位牌を背負って、母とともに巡礼した。

平成五年三月六日建立 山口市教育委員会(案内板より)

        
鉢の子

『鉢の子』(はちのこ)は、托鉢(たくはつ)僧が手に持つ鉄の鉢のことです。其中庵公園の中に、自然石に彫られた『春風の鉢の子ひとつ』の句碑(写真右)があります。山頭火は50歳のとき、初の句集を刊行していますが、その句集名を『鉢の子』としています。
春風の鉢の子ひとつ
入庵六日目の山頭火(昭和7年、50歳)
昭和7年(1932年)、山頭火50歳のとき、第一句集『鉢の子』が山頭火後援会から発刊されます。同年、山口県川棚温泉に庵居を求めるがうまくいかず、9月20日に其中庵を開き、其中庵の老朽化が進み、住むに耐えなくなる昭和13年(1938年)10月まで、其中庵で暮らしました。上の写真は其中庵休憩所に展示の写真を撮影したものです。


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