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♪ひとり 〜ショートバージョン |
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福連木子守唄の里 − 熊本県天草市 |
熊本県の子守唄といえば、同県球磨郡五木村に伝わる五木の子守唄が知られていますが、天草下島のほぼ中央部に位置する福連木(ふくれぎ)にも子守唄が伝承されています。全国的にはあまり知られていませんが、五木の子守唄よりも先にできていて、五木の子守唄の源流ではないかという説もあるようです。福連木は、江戸時代、幕府の官山(かんざん)で、槍(やり)の柄として立派な樫(かし)の木の産地でした。しかし、村人は山を利用することは禁じられ、生活は苦しく、口減らしのために子供たちは子守奉公に出されました。子守奉公の心情を歌に託した福連木の子守唄は、福連木小学校の児童たちに歌い継がれています。(旅した日 2012年10月) |
福連木(ふくれぎ) |
毎日、取れたての新鮮野菜が並ぶ『まごころ市場』と県道24号線 |
天草は大矢野島、上島、下島の3つの島からなります。天草市(旧天草郡天草町)福連木地区は、下島のちょうど中央部の海の見えない山里にあります。集落から望む角山(かどやま)は、江戸時代から300ha近い、主に樫(かし)の木ばかりが広がる天然の美林で、この山から切り出される樫の木は、日本一の槍(やり)の柄木として知られていました。 |
『まごころ市場』から見る県道沿いの集落風景 |
江戸時代初期の万治元年(1658年)、幕府御用達の山となると、安政5年(1858年)までの200年間、山は幕府によって特別に守られ、村人は厳しい監視のもとに山に入ることも、枝葉さえ取ることも禁止されていました。明治以降は国有林となり福連木官山(かんざん)と呼ばれました。 |
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『福連木子守唄公園』に至る道路沿いの集落風景 |
さて、この福連木地区に安政年間以前から唄われていたという子守唄が伝えられています。歌詞はいろいろ伝わっており、30種類以上が知られているそうです。歌詞は哀愁ただよう子守の心情を唄った内容になっています。安政年間に書かれた出稼ぎ取り調べ帳によると、6歳から74歳までの男女が出稼ぎに出ていたそうです。 |
あちこちに『福連木子守唄の里』の看板が建ててありました。 |
子守の出稼ぎ先は人吉が多かったといいます。同じ熊本県球磨郡五木村に伝わる『五木の子守唄』よりも先にできたものであり、人吉に奉公に行って伝えられ、五木の子守唄となったのではないかという説もあるようです。源流であるかどうかは別にして、2つの子守唄には歌詞によく似たところがあり、人や文化の交流があったと考えられています。 |
後方に見える角山(かどやま)へ向いた道路。『福連木子守唄公園』に至ります。 |
福連木の子守唄 | |
一 ねんねこ ばっちこ(1)いうて ねらんこは たたけ たちゃて(2) ねらんこは じごねずめ(3) 二 ねんねこばっちこは もり子の役目 そういうて 寝らきゃて(4) らくをする 三 おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先きゃ おらん おっても ぼんべこ きしゃされず(5) |
四 おどんが死んだ時ゃ だあが泣いてくるきゃ 山の からすと親様と 五 おどんが死んだ時きゃ 大道端(6)いけろ 登り 下にゃ 花もらう(7) 六 花はたつつちゃ しばん葉はたつんな(8) 椿 つつじの 花たてろ |
〔注釈〕 (1)「ねんねこ ばっちこ」は、歌詞に意味はなく、子供をおんぶしてあやしている様 (2)たたいても (3)おしりをつねりなさい (4)寝かしつけて (5)居っても、良い着物も着させてもらえない (6)人通りが多い道沿いに (7)人が行き来するときには 花を生けてもらう (8)花を生けてもらうと言っても、柴は立てないで欲しい。 |
福連木子守唄祭り2010! (YouTubeより) |
福連木地区には『福連木子守唄公園』があり、毎年11月には『福連木子守唄&童謡まつり』が行われています。 |
【参考にしたサイト】 (1) ☆哀愁漂う『福連木の子守唄』☆/福連木里づくり振興会(熊本−天草) (2) 子守唄の里 福連木 天草市(熊本県公式ホームページ) |
おすすめ | ⇒ レポート ・五木と福連木、2つの子守唄 |
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