♪Prologue
Kaseda Music Labo
吹屋ふるさと村 − 岡山県高梁市
                        (
倉敷から高梁川に沿って国道180号を北上すること約50分。車は高梁(たかはし)市街への入口にさしかかります。そこを西に折れて、やがて離合もままならない細い山間の道をのろのろと約40分進むと、ベンガラ色の赤い町並みで知られる『吹屋ふるさと村』に到着します。吹屋(ふきや)は、標高550mの山間に位置する集落で、江戸時代中期より吹屋銅山の町として発展し、幕末頃から明治時代にかけては、銅をとるときの副産物である赤色顔料ベンガラ(酸化第二鉄)の日本唯一の製造地として繁栄を極めました。メイン道路の両側に立ち並ぶベンガラ格子と石州瓦の赤褐色の重厚な家並みが、昔日の繁栄の大きさを物語っていました。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。 (旅した日 2007年06月)  


笹畝(ささうね)坑道
笹畝(ささうね)鉱山は、吹屋銅山のなかで支山(しざん)でしたが江戸時代から大正時代まで黄銅鉱、硫化鉄鉱を採掘していました。笹畝坑道は、1978年(昭和53年)に復元し、坑内を見学できるようにしたものです。


ベンガラの町並み  〔国の重要伝統的建造物群保存地区〕
町並みは山間にあるため緩い坂道となっていて、その道の両側に、平入り・妻入りの町家・商家が並んでいます。東から西に緩やかな坂を上りきったところが町並みの終点になっていて駐車場があります。その駐車場にレンタカーを駐車して、歩いて坂を下ってみました。
吹屋銅山の歴史
吹屋銅山は、大同2年(807年)に発見されたと伝えられ、古書に備中の産物に関する記載がありますが、銅山としての記録は、戦国時代尼子氏(あまこし)と毛利氏の争奪戦からのことです。江戸時代初期一時、成羽(なりわ)藩の支配下にありましたが、大部分の間は幕府直轄地・天領(てんりょう)で、代官の支配下で稼動していました。
長い歴史のなかで、泉屋(住友)の元禄年間(1690年)の35年間、福岡屋(大塚)の享保〜天保年間(1716〜1842年)の207年間、および三菱(岩崎)の明治〜昭和(1873〜1930年)の58年間の、次の三つの繁栄期あったそうです。
江戸時代の採掘は手堀りで、鉱区も小範囲でしたが、坑内の排水が非常に困難であり、水抜坑道を掘りぬいた時期が繁栄したそうです。
明治以来、三菱金属(株)の経営となると、付近の小山を吸収合併し、自家発電所を設けました。削岩機を使うとともに精錬等の作業を機械化し、日本で始めて様式溶鉱炉を作り、日本三大鉱山の一つになりました。
長尾醤油店
吹屋ふるさと村の町並みに蔵を構え、創業文政9年(1826年)より昔ながらの味と製法を育んだ醤油が作られ続けています。
地酒も造られ、徳利入りで売られていました。
さて、以下は、今度は後ろ向きになって坂を下った場合の風景です。

旧片山家住宅
旧片山家は吹屋を代表するベンガラ豪商で、片山一門の総本家。屋号を胡屋(えびすや)といいます。宝暦9年(1759)の創業以来、200年余年にわたって吹屋ベンガラの製造・販売を手がけた老舗で、その家屋は、弁柄屋として店構えを残す主屋とともに、弁柄製造にかかわる付属屋が立ち並び、近世弁柄商家の典型として高く評価されています(国指定重要文化財)
郷土館
町並みの中心部に位置した郷土館は、5年の歳月をかけて明治12年(1879年)に完成された吹屋商人の家です。妻入の入母屋型で塗込造りとベンガラ格子の建並ぶ中でも代表的な建物の一つで、石州大工の手により建てられました。
上の写真の左側の商家には『二億年前の成羽の化石』とあり、右側のお店は『麻田百貨店』という屋号なのが面白いです。高梁市成羽町(なりわちょう)は、 二億年前の化石で有名です。
ベンガラ(弁柄)
ベンガラ(酸化第二鉄)は、硫化鉄を原料として精製した赤色顔料で、古くから、九谷焼、伊万里焼、京焼などの陶磁器の赤絵、能登、輪島などの漆器、衣料の千両、家屋、船舶の塗料など色々な方面で使われてきました。
吹屋は江戸時代、銅山の町として栄えましたが、幕末から明治にかけて、吹屋はむしろ『弁柄(ベンガラ)の町』として全国に知られました。しかも、吹屋街道の拠点として、鋼や中国産地で生産される砂鉄・薪炭・雑穀を集散する問屋も多く、備中北部から荷馬の行列が吹屋に続き、はたご屋、飲食店の立ち並ぶ山間の市場町として吹屋は繁昌を続けました。
これらの鋼や鉄、ベンガラは吹屋から更に荷馬に負わされて成羽へ運ばれ、それから高瀬舟で玉島港に集められ、上方や四国へ輸送さました。江戸時代からの成羽や玉島の繁栄は、吹屋の鉱工業に負うところが大きかったといわれています。
吹屋郵便局
1874年(明治7年)に開局以来三代目の局舎で、1993年(平成5年)に建築されたものて、向って左側の建物は元呉服屋であり、右側の建物は前局舎を撤去してそれ以前あった民家にできるだけ近い姿に復元させました。
ベンガラ和紙
ベンガラ和紙は、岡山県郷土伝統的工芸品のひとつである津山市の横野和紙で作られるそうです。繊維が綿のようになるまで樫の木の角棒で叩きほぐす『叩解(こうかい)』という工程でベンガラが入れられます。
松栄館
『同家の先住が屋号を伊予屋と称し旅館業を営んでいた。明治中期頃の建築で入母屋型の妻入形式である。現在の赤木家も昭和40年頃まで松栄館の称号で旅館と料理屋を営んでいた。』と案内板にあります。
長尾屋
長尾の総本家で弁柄釜元の一軒。江戸期には鉄・油等の問屋で酒造業も営んでいました。1700年代末頃の建築で、現在の建物は幕末から明治・大正頃に増改築されたものです。切妻型の妻入形式。左側にくぐり戸付きの長屋門を持ち、入口中央の柱に馬を繋ぐ丸い金具が付けてあります。
黄金荘
この建物は江戸末期、弁柄仲間の一人であった大黒屋(大国屋)が建てたもので、切妻型の妻入り形式です。傷みがはげしかったため、外観、内部とも建築時の姿に出来るだけ忠実に修復されました。
破風部分の漆喰(しっくい)の白色に色褪(あ)せたベンガラ色がより引き立ちます。
こちらは、破風部分がベンガラ色の漆喰。白色の縁取りが鮮やかです。

吹屋小学校
吹屋小学校(旧吹屋尋常高等小学校)は、吉岡銅山本部跡地の寄付を受けて1900年(明治33年)に東西二棟の平屋校舎、1909年(明治42年)に、二階建ての本館が建てられました。洋風の本館の左右に和風建築の東西校舎が並び立つ、当時としては珍しい和洋折衷のモダンな建物でした(岡山県指定重要文化財)。
  
〔補遺〕 築 100年を超え、現役としては国内最古の木造校舎であるこの吹屋小学校が今月(2012年3月)末、児童数の減少を受けて閉校することになり、児童3人の卒業式と閉校式が20日に開かれ、多くの歴代卒業生らが駆け付けて名残を惜みました。校舎は、資料館として保存されるそうです
  
あなたは累計
人目の訪問者です。
 
Copyright(C) WaShimo All Rights Reserved.