ちりめん街道 |
(国の重要伝統的建造物群保存地区) |
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街道沿いの家並み |
京都府の北部、丹後半島の付け根に位置する京都府与謝郡与謝野町。日本三景の一つである天橋立(京都府宮津市)から国道176号を約10km南に走ったところにある与謝野町加悦(かや)は、江戸から明治・大正・昭和初期にかけて、高級織物『丹後ちりめん』が隆盛を極めた場所です。 |
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街道沿いの家並み |
南北に走る、通常『ちりめん街道』と呼ばれる全区間 830メートルの街道は、平成17年(2005年)に全国で73番目の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。この街道には、ちりめん産業により町を近代化した建造物たちが今も静かに佇んでいます。今は住民たちの生活の場となっていますが、多くの貴重な建築物が今でも住宅として利用されています。 |
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ちりめん街道の暖簾と灯篭 |
古くからこの地では、絹織物が織られていましたが、江戸時代に、加悦谷地方の手米屋小右衛門、山本屋佐兵衛らが京都の西陣から技術を持ち帰り、それを元に作られたのがこの地での丹後ちりめんの始まりだそうです。峰山藩、宮津藩の保護助長の歴史を経て、地場産業として根づいていきました。 |
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街道北端の天神橋より街道を見る |
天神橋 ちりめん街道北端に昭和9年(1934年)に架けられた橋。丸味を帯びた独特の風情過ぎた年月を物語っているようです。現在は静かな加悦奥川にかかる小さな橋、という印象ですが、当時はかなりの水かさがあり、船着き場としての役割と担っていた場所でした。旧尾藤家住宅の建物も、移築の際、野田川を経てこの川で船によって運ばれてきたといわれます。 |
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����(はまみけ)住宅 |
����(はまみけ)住宅 明治21年(1888年)建築。明治20年2月の下之町大火で住宅八棟が全焼し、���判斬陲眈銅困靴泙靴拭�修陵眷�忘瞳悊気譴燭里�什澆侶柀�如�譴砲老�爐�箸錣譴討い泙后E擺崗緝瑤硫虻�砲蓮�貊个靴留朮虻�覆海靴笋諭砲�弔蝓◆悒�鼻戮鮃修┐訖瓩㍑瓦韻龍�屬任△辰震声��綯羇釮了僂鬚箸匹瓩討い泙后�天台宗系寺院が建立さ |
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井筒屋旅館 |
井筒屋旅館 明治23年創業、100年来の老舗旅館。昔ながらの街道の雰囲気を存分に残して、今も営業を続けています。ちりめん街道で現存する唯一の旅館としてにぎわっています。建物は、昭和8年に再建された総2階平入りの建物で、昭和初期には結婚式場として利用されていた部屋、現在は客室として提供されています。 |
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街道沿いの家並み |
手づくり工房・遊 街道を挟んで井筒屋旅館の向かい側にある手づくり工房・遊(上の写真の左端)は、こじんまりとした店内に処狭しと並ぶちりめん小物や工芸品などが置かれています。地元の方が手作りで作られたちりめん小物のものや、ちりめん生地・着物関連品を、コツコツと集めて販売されているお店です。 |
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杉本家住宅主屋 |
杉本家住宅主屋 嘉永元年に建てられた建物で、この地区内で屈指の古い建物です。旧尾藤家住宅と同様、建物群の中に中庭のある構造をしています。明治43年(1910年)、当主の利右衛門は電気事業の必要性を痛感し、丹後電気株式会社を設立。翌年、天満神社に初めて電灯の明かりが点りました。 |