旅行記  ・棚田を訪ねて(4) − 鹿児島県出水市芭蕉   


  日本の農業の原点とも言える棚田を訪れてみたいと思いたったのは、今年(2003年)の7月でした。まず訪問したのは、福岡県朝倉郡宝珠山(ほうしゅやま)村でした。田植えから1ヶ月が過ぎた稲は、田んぼにしっかりと根を張り、そよ吹く風に緑の葉をなびかせていました。あれから二ヶ月余があっという間に過ぎました。冷夏と言われ、例年より作柄が悪いと言われていますが、それでも稲は黄色に色づき、たわわに実っています。今回は、鹿児島県出水市芭蕉の県境の棚田を訪れました。
「日本の棚田百選」には選ばれていない、どこでも見られる山間の棚田です。              (旅した日 2003年9月)


棚田と共に                                                



棚田と共に
 熊本県との県境にある鹿児島県出水市。山を越えて熊本県の水俣に通ずる県道117号に入って車で数分進めば、道路は車の離合もできなりほど狭幅になり、鬱蒼(うっそう)とした樹木が道路をおおっています。まるで林道を登って行くようです。


 
県境の峠に差しかかる少し手前に、芭蕉地区はあります。軸谷川に沿った狭幅の山間(やまあい)に切り開いた棚田。その脇々に、棚田を見守るように数戸の民家が点在して建っています。


 昭和30(1955)年代の鹿児島県の郡部の農家は、当HPの制作者が生まれ育った農村も含めて、ほぼ自給自足の生活でした。


 
「ぶえんは、いいもはんどか〜い」。 「ぶえん」とは、鹿児島の方言で、新鮮な生魚のことです。「新鮮な生魚は、いりませんか〜」と言って行商のおばさんが荷を担いで魚を売りにやってきます。


 自作の米と野菜に、焼き魚の一切れもあれば十分でした。どこの農家でもニワトリ(地鶏)を飼っていて、
祝事のときは、地鶏の煮付けです。取れたての野菜に、日干しの椎茸や竹の子や大根、昆布、そして揚げ豆腐などを入れます。

土地を活かして
 今は、山間にいても世界の時事やレジャー、文化・芸能などの情報を都会と変わらぬ早さで知ることのできる時代になりました。時間はかかっても、車を使って市街に出れば、買い物もできます。昭和30年代の頃のようにはいかないでしょうが、棚田と共に生きる芭蕉地区の光景は、当HPの制作者にかっての自給自足の農村の暮らしを思い起こさせました。


土地を活かして
 芭蕉地区の棚田が開墾されたのは、近代(明治)と言われています。左の写真の棚田は、長方形の田んぼが整然と並ぶ棚田とは趣(おもむき)を異にした棚田です。山間の狭い土地を活かすために、土地を扇形や弓形(ゆみなり)や台形状の田んぼに区画して開墾し、石垣を積んで、棚田が形成されています。少しでも耕地を確保しようという
先人たちの土地を活かす努力と工夫が伺い知れます。
幾何学美
幾何学美
 柿の木を中心に放射状に棚田を配した空間。土地を活かす努力と工夫は、
田んぼの形・大きさ・位置関係が織り成す独特の幾何学(きかがく)美を醸(かも)し出しています。
(写真左上)


 稲作には水が不可欠です。山から湧きでる水を集めて水田に引いているのでしょう。どの田んぼにも水が行き渡るように、弓形の形状に沿って
水路が丹念に作られています。
(写真左下)


 田植え、田の草取り、稲刈り、稲落としなどの農作業。午前10時と午後3時には、きつい農作業をひと休みして、お茶を飲み、おやつ(鹿児島の方言で、「ゆくもん」といいます)を食べます。


 柿の木は木陰を作ってくれます。その木陰にゴザを敷いて、
「ゆくもん」を食べたり、弁当を取ったりするために、柿の木が植られたのだと思います。
野生の生き物と共存しながら
野生の生き物と共存しながら
 山間の田んぼや畑には、猪(いのしし)や鹿や猿など、野生の生き物が出没します。野生の生き物と共存しながら、一方で野生の動物から農作物を守って行く必要があります。

 左の写真には、真新しい二本の鉄線が引いてあるのが写っています。有刺鉄線ではありません。電線を支柱に絶縁固定する碍子(がいし)が使われています。
この二本の鉄線には、電流が流してあって、猪などの野生の動物が近づくのを防止しているのです。



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