入植35周年記念碑『拓魂』 |
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昭和五十六年七月十八日
拓 魂
元満州国第十三次与論開拓団
団長 伊藤佐江吉 謹書
昭和十九年三月十日旧満州国錦州省盤山県第十三次与論開拓団に百四十五戸六百三十五名が与論島から分村入植した。敗戦前後の過酷な状況の中で多数の人が犠牲となる。四百三十二人が町清之進氏を団長として肉親の遺骨を抱き、はだか同然で二十一年六月二日引揚げ上陸。内地開拓のため五十四戸百五十六名が七月十八日現在地に入植した。
開拓団長 町 清之進
副 団長 池田 福利
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田代入植 |
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うっそうとした杉などの大木が茂り、見上げても空が見えない。足元は昼なお暗く、イノシシならともかく、人間が果たして生活できるのだろうかと不安がつのる。それでも、田代を開拓地に選んだのは、与論島では確保に苦労した水と薪が豊富にあったからだ。
先遣隊が標高500mの急斜面地に切り開いたわずかな山畑にサツマイモや野菜を植え、その後、入植者全員がそろった。数こそ満州移住の時とくらべると減っていたが、多くの試練に鍛えられて、みんなの意志はかたかった。満州で無念の涙をのんで死んでいった人たちのためにも、生き残った者たちが頑張らなければならない、いつしか『満州を忘れるな』がみんなの合言葉になった。開拓地の名前も、満州の開拓地をそのまま引き継いで『盤山』とした。 |
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入植後に亡くなった仲間の慰霊碑 |
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