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旅行記 ・アマルフィ海岸、ソレント − イタリア(12) 2014.07
アマルフィ海岸
『ポジターノの丘』展望台から見下ろすポジターノの街並み
アマルフィ海岸  イタリア半島南部からティレニア海に向けて西から東へ突き出したソレント半島の南岸の、半島の付け根から西へアマルフィを経てポジターノに至るまでの一帯はアマルフィ(Amalfi)海岸と呼ばれています。切り立った断崖とエメラルドの海が複雑に入り組み、『世界一美しい海岸』と言われ、1997年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
『アマルフィ』という土地の名前は、
ヘラクレス(ギリシア神話の半神半人の英雄)が愛したニュンペー(ギリシア神話に登場する
女の精霊)の名に由来すると言われます。
『ポジターノの丘』のレストラン
ヘラクレスはそのニュンペーと仲睦まじく
暮らしていましたが、ある日突然、彼女が死んでしまいます。それを嘆いたヘラクレスは、この世でもっとも美しい土地に
彼女を葬り、街を切り開いて『アマルフィ』という彼女の名を付けたとされています。
『レモン街道』と呼ばれる街道SS163
30kmに及ぶ海岸線の斜面に
張り付くように点在する小さな町は高級リゾート地となって、家並みはまるで
降り注ぐ太陽の下に散りばめた白い宝石のようです。
ポジターノは香辛料などを輸出する中心地として繁栄しました。
レモンの産地であることから海岸線に
沿う街道SS163は『レモン街道』と呼ばれています。温暖な気候に恵まれたアマルフィの人たちは、土地の険しい
地形を利用し、だんだん畑を作り、レモンの栽培をはじめました。
斜面に張り付くように家並みが形成されています。
古代ローマ帝国が崩壊の危機に
瀕していた4世紀ごろ、南イタリアの海辺の町メンフィの人々が戦火から逃れて住みかを構えたのが
アマルフィの始まりとされているそうです(1)
その家並みを縫うように街道SS163が走っています。
背後が切り立った山で耕地を持たなかった
アマルフィの人たちは、海に囲まれ、中東、アフリカ大陸に近いという地理上のメリットをフルに
活用し、諸国との海洋貿易に商才を発揮していきました。
険しい地形を利用しただんだん畑。
イタリア、アラブ、ビザンチン
(現在のトルコの都市イスタンブルの前身)を結ぶ『三角貿易』で発展し、839年にナポリの属国から
独立し、中世イタリアで最初の海洋共和国として名を挙げます。
サンタマリア・アッスンタ教会
9世紀から12世紀にかけて栄えたアマルフィ共和国
(またはアマルフィ公国)は、イタリア最初の海洋都市国家で、ピサ、ジェノバ、ヴェネツィアなど、北部の都市国家が
台頭するまでは、イタリアの商業の中心地として地中海貿易を支配していた。
アマルフィ海岸の中心地『アマルフィ』
地中海貿易の
先駆的存在であり、地中海を航行する際、羅針盤を使ったのも
アマルフィが最初だったといわれます。
ドゥオーモ広場に憩う人たち
アマルフィ海岸の中心都市であり、観光の
拠点であるアマルフィの町は、周囲を断崖絶壁の海岸に囲まれ、小湾の奥に位置する小規模な浜に
作られた港から、断崖上に向かって街が形成されています。
千年の歴史を有するアマルフィ大聖堂
町の中心部のドゥオーモ広場から
階段を上った場所にあるアマルフィの大聖堂は、海洋都市国家時代の繁栄を
今日に伝えるのがアマルフィの大聖堂です。
 海洋都市国家時代の雰囲気を残すアマルフィの街
9世紀頃建設され、7回もの改修がなされており、
ロマネスク建築、バロック建築、 イスラーム建築、ロココ建築、ゴシック建築、
ビザンチン建築など様々な建築様式が混在しているといわれます。
香辛料を売る土産屋
アマルフィといえば、フジテレビ
開局50周年記念作品として、日本映画『アマルフィ 女神の報酬』(西谷弘監督、織田裕二、天海祐希、
福山雅治他出演、2009年7月公開)が制作されています。
可愛い貝殻細工が売られていました。
 
ソレント
ソレント( Wikipedia(アップロード者:Otberg)より)
ソレント 南イタリアのナポリから南へ約50Km。ナポリ湾の対岸に湾を囲むように突き出た半島の町がソレントです。カプリ島などへフェリーが発着し、世界遺産のアマルフィ海岸につながる細い街道の出発地でもある風光明媚なリゾート地です。
 
『帰れソレントへ』 ソレントと言えば中学校の音楽の授業で出てきた楽曲『帰れソレントへ』を思い出します。当時はソレントのことも知らぬままメロディに親しんだのですが、今年(2014年)7月のイタリアツアー旅行で、車窓からながらソレントの風景や情景に接することができました。『帰れソレントへ』は、ナポリ民謡(カンツォーネ)といわれますが、1902年に時のイタリア首相がソレントを訪れた際、ソレントの市長が(経済的支援を期待して)来賓をもてなすために、クルティス兄弟に作詞・作曲を依頼したものだそうです。当時は、ソレントの環境や自然を強調した歌詞だったのが、その後歌詞が一部書き換えられ、今日知られる形になったそうです。『日本人のためのイタリア』というサイトに素敵な訳詩がありましたので、転載させて頂きました。去って行った恋人へ帰ってきて欲しいと切望する思いと同時に、ソレントへの思いがつづられています。(注)訳詞中の「セイレーン」は、ギリシア神話に登場する海の怪物。上半身が人間の女性で、下半身が鳥の姿をしているとされます。
【参考サイト】
(1) アマルフィの魅力:イタリアが誇る世界屈指のリゾート都市の歴史と文化
(2) 音楽研究所
(3) 
日本人のためのイタリア 帰れソレントへ
(4) アマルフィ - Wikipedia、アマルフィ海岸 - Wikipedia、アマルフィ公国 - Wikipedia
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