雑感 | ・想像力について |
− 想像力について −
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村上春樹の小説「海辺のカフカ」(2002年9月新潮社発行)は、随所でいろいろな事柄が提示され、多くの示唆を与えてくれます。その一つに、「想像力」についての個所があります。「海辺のカフカ」は、十五歳の少年が家出をするところから始まる物語です。少年は四国に向かい、高松市のある私立図書館に身を寄せます。その図書館には、「大島さん」という男性(実は女性)が勤めています。 ◆その図書館に、ある日、二人連れの女性が現れます。彼女たちの組織は「女性としての立場から、日本全国の文化公共施設の設備、使いやすさ、アクセスの公平性などを実地調査している」のだというのです。そしてこの図書館にはいくつかの問題点が見受けられると指摘します。まず、女性専用の洗面所がなく、それは女性利用者に対するニグレクトである、そして図書のすべての分類において、男性の著者が女性の著者より先に来ており、これは男女平等の原則に反し、公平性を欠いた処置だなどとまくしたてます。二人は、反論する「大島さん」を、「あなたは典型的な差別主体としての男性的男性だ」と断罪します。「大島さん」は、自分は女であり、ゲイでもあって、クリトリスは感じるけど乳首はあまり感じないなどと告白し、あなたたちフェミニストたちは根本的に間違っていると二人の女性を追い返します。そして、著者村上春樹は「大島さん」に、次のようなセリフを吐かせます。 「うんざりさせられるのは、想像力を欠いた人々だ。T・S・エリオットの言う〈うつろな人間たち〉だ。その想像力の欠如した部分を、うつろな部分を、無感覚な藁(わら)くずで埋めて塞(ふさ)いでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで表を歩き回っている人間だ。そしてその無感覚さを、空疎な言葉を並べて、他人に無理に押しつけようとする人間だ。つまり早い話、さっきの二人組みのような人間のことだよ」「想像力を欠いた狭量や非寛容さ。ひとり歩きするテーゼ、空虚な用語、纂奪(さんだつ)された理想、硬直したシステム。僕にとってほんとうに怖いのはそういうものだ」 ◆物事には、経緯があり、背景があり、微妙な綾(あや)があります。それぞれにはそれぞれの事情、実情、つまりリアリズムがあります。自分の狭い世界観や経験、感情や嗜好(志向)だけを拠(より)どころに結論を出す。あるいは、通り一遍の「正義感」や「正論」をまくしたてる。想像力を欠く多面性の無さ、非寛容さ、言葉は「うつろ」になり、「うつろな言葉」は「社会のふところ」を浅くし、そして本質は見失しなわれ、人を傷付けます。 ◆痛ましい犯罪や出来事が頻発しています。また、そこにも想像力の欠如が見られるように思います。「想像力」、それは人間のみに与えられた能力です。自分の行為や行動がどういう結果を招くのか、だれをどれほど悲しませるのか、自分はどうなるのか、豊かな想像力があれば、行為や行動は人間らしい範囲に抑制されるのではないでしょうか。 ◆そして、起こった事件に対する政治家の言動。想像力のある、ふところの深い言動と指導力を期待したいものです。 【参考】 (1)ニグレクト(neglect) 無視すること。 (2)フェミニスト(feminist)女権拡張論者。 (3)テーゼ((独) These) 運動の基本的な方向・形態などを定めた方針ないし方針書。綱領(こうりよう)。ある提案をもとに根本方針を定め、一人あるいは集団の行動を規律づけるものを言う。 (4)T.S. エリオット(Thomas Stearns Eliot) 1888〜1965年。ノーベル賞詩人。アメリカミズーリ州セントルイス生まれ、のちイギリスに帰化。詩集「荒地」、ミュージカル「キャッツ」の原作者として有名。 (5)簒奪(さんだつ) 帝位を奪い取ること。 |
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2003.07.01 | ||||
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