コラム  ・夕顔   
− 夕顔 −

今年(2006年)のゴールデン・ウィークの前半は自宅にいて、もっぱら菜園の草を抜いたり、竹林に入って、ランダムに生えて来た竹の子が、もう竹になりかけているのを伐採したりして過ごしました。
 
ニガウリ(ゴーヤ)に棚も作ってやりました。4本の支柱を立てた、ちょうど藤棚のような棚です。ニガウリのひげはもう半ば巻き始めていて、近くに小枝の付いた枯れ竹を立ててやると、何と5分もしないうちに巻きついているではありませんか。
 
巻き始めたひげがたまたま竹の小枝に絡(から)み付いたのかも知れませんが、まるでニガウリが動物のように生きているみたいでした。生きているみたいだと言えば、白洲正子(1910〜1998年)さんの著作に『夕顔』と題するエッセイがあります。
 
白洲さんは、夕顔の花が好きだったので毎年育てていました。しかし、白いハンケチをしぼったような形をしている蕾(つぼみ)が、どのようにして開くのかその瞬間を見たことがなかったというのです。
 
そこで、ある年、開花の様子を見届けようと、夕方から椅子を引っ張り出してきて、数時間じっと凝視していたのだそうです。ところがそうすると夕顔は花開くどころか、しだいに萎(しお)れ、遂には、蕾のままぽとりと地面に落ちてしまったそうです。何度やっても結果は同じでした。
 
人が見ていないところでは開花するのに、どうもデリケートで恥ずかしがり屋の夕顔は、人間に凝視されることに耐えられないらしいのです。
 
白洲さんは、『植物の神秘生活』(工作舎刊)という本を引き合いに出しながら、『極くありふれた植物にも感情や知性があり、他の生物とコミュニケートする能力がある。そればかりか、人間が考えていることを予知することさえできる』のだと言います。
 
白洲さんは、その本を評して、『もちろん最新式の機械を駆使し、古今東西のあらゆる例をひいて、科学的に証明しつくしているのだから、近頃こんなに面白い本はなかった』と書いています。
 
例えば、1966年に、米国のクリーヴ・バクスターという人は、ウソ発見器の電極を接続された植物の葉が、周囲の人間の感情や意図に電気的反応を示すことを発見したのだそうです。
 
だとすれば、我が家のニガウリたちは、丹精込めて棚を作っている雰囲気を感じ取ってくれたはずです。だからきっと、梅雨が明ける頃には棚にたくさんのウリを吊り下げてくれるに違いありません。
 
俳句では、夕顔は夏の季語で、『ウリ科の一年生蔓草で、夕刻に花冠五裂した大きな白花を開き、翌朝までにしぼむ』と歳時記にあります。ただ、ウリ科の「夕顔」のほかに、ヒルガオ科の「夜顔」も夕顔と呼ばれていて、白洲さんがエッセイに書いているのがどちらの夕顔なのか、意見が分かれるところのようです。
 
旧白洲邸武相荘(東京都町田市)のホームページには「夜顔」の写真が出ています。
・旧白洲邸武相荘・花の歳時記〜夏
    → http://www.buaiso.com/flowers/#summer
 
白洲正子さんのエッセイ「夕顔」(『文學界』1991年9月初出)は、同名の文庫本で読むことができます。
・『夕顔』白洲正子著、新潮文庫、1997年発行、\460
 
植物にも感情や知性があるという話しは、興味深いですね。是非下記の本を読んでみたいと思っています。
 
『植物の神秘生活 − 緑の賢者たちの新しい博物誌』ピーター・トムプキンズ他著、新井昭廣訳、工作舎刊、1997年発行、¥3,000
 
『植物は気づいている』クリーヴ・バクスター著、穂積由利子訳、日本教文社刊、2005年発行、¥1,600
 
 

2006.05.10
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