コラム  ・ツタンカーメンのエンドウ豆   
− ツタンカーメンのエンドウ豆 −
紀元前14世紀の古代エジプト王朝のファラオ、ツタンカーメンの墓がイギリスの考古学者ハワード・カーター氏によって発掘されたのは、1922年のことでした。
  
ツタンカーメンは王墓としてはきわめて珍しいことに、3000年以上の歴史を経てほとんど盗掘を受けておらず(実際には宝石の一部などが抜き取られていたが、副葬品自体は無事だった)、王のミイラにかぶせられた黄金のマスクをはじめとする数々の副葬品がほぼ完全な形で出土しました。
   
その発掘は世界を大いに驚かせました。発掘のスポンサーとなったカーナヴォン卿が墓の公開直後に急死するなど、発掘関係者が次々と不遇の死を遂げたという流言が世に広まり、それをきっかけとして『ファラオの呪い』という伝説が高まったりしました。
  
ツタンカーメンのミイラと、黄金のマスクをはじめとする数々の副葬品はエジプトに残されました。そして、黄金のマスクや純金製の第3人型棺をはじめとする副葬品の大半は、現在はカイロにあるエジプト考古学博物館に収蔵されて観光客に公開されています。(以上、『ツタンカーメン - Wikipedia』より部分引用・編集)
  
さて、そうした多くの副葬品の中からエンドウ豆がみつかりました。それを持ち帰ったカーター氏が、発芽、栽培に成功。その後、そのエンドウ豆の子孫は各国に渡って広く広まり、『ツタンカーメンのエンドウ豆』と呼ばれています。
   
このエンドウ豆、豆は普通のグリンピースと変わりませんが、さやが濃い紫色をしています。そして、不思議なことに、豆ご飯にすると炊き立ては薄緑の豆に白ご飯ですが、保温のまま時間が経てば豆もご飯も赤飯のように赤くなります。
   
わが家では数年前に種をもらい、連れ合いが毎年大事に種を採って栽培しています。3000年以上前の古代エンドウ豆のDNAがはたして引き継がれているものなのかどうか、その真偽のほどはともかく、ロマンを感じさせてくれる話ではありますし、何より、この豆ご飯は、豆が甘くてほくほくしていて、とても美味しいです。
   
    
わが家の菜園のツタンカーメンのエンドウ豆
   
   
さやと豆
   
   
炊立ての豆ご飯
   
   
炊立てから12時間後の豆ご版
 
写真はいずれも2014年5月20日、鹿児島県さつま町の自宅で撮影。
   

2014.05.27
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