レポート  ・渥美清さんの俳句   
− 渥美清さんの俳句 −
『男はつらいよ』の第1作の公開から2019年の今年で50年を迎えることから、1997年の第49作の公開以来22年ぶりに新作の第50作が制作され、今年12月27日(金)に公開されます。主演は死去から23年を経た渥美清さんが務め、現在の撮影と過去の映像を組み合わせた映画になるそうです。
  
さて、渥美清さんは『私生活』を全く語らなかった役者として知られています。晩年は俳句を趣味とし、『アエラ句会』(AERA主催)において『風天』の俳号で句を詠みました。以下に、12句をあげてみました。
  
  ひとり遊びなれし子供のシャボン玉
  遠くでラジオの相撲西日赤く
  好きだからつよくぶっつけた雪合戦
  マスクのガーゼずれた女や酉の市
  赤とんぼじっとしたまま明日どうする
  いみもなくふきげんな顔してみる三が日
  テレビ消しひとりだった大みそか
  村の子がくれた林檎ひとつ旅いそぐ
  毛皮着て靴ふるきはな水の女
  台所誰も居なくて浅利泣く
  やわらかく浴衣着る女のび熱かな
  蟹悪さしたように生き
  
   
― 渥美清さんの実像 ―
   
「寅さん」の演技で見せる社交性のある闊達さとは対照的に、実像は公私混同を非常に嫌い、他者との交わりを避けていた。「男はつらいよ」のロケ先で、撮影協力した地元有志が開く宴席に一度も顔を出したことがない話は良く知られており、身辺にファンが近寄ることも嫌っていた。
  
タクシーで送られる際も「この辺りで」と言い、自宅から離れた場所で降りるのを常としていた。さらに渥美は亡くなるまで芸能活動の仕事を一切プライベートに持ち込まなかったため、渥美の自宅住所は芸能・映画関係者や芸能界の友人にも知らされていなかった。
  
家族構成は妻と子供2人だが、原宿に「勉強部屋」として、自分個人用のマンションを借りており、そこに一人籠っていることが多かった。長男の田所健太郎が「親族の立場」で公の場に顔を出すのは渥美の死後だった。
  
渥美自身の結婚式は親族だけでささやかに行い、仕事仲間など呼ばなかった。芸能記者の鬼沢慶一は招待され友人代表として出席したが、鬼沢はその事を渥美の死まで公表することはなく、渥美の没後にその時の記念写真と共に初めて公開した。
  
結婚まで秘密にしていたため、没する数年前でも渥美が独身と思っていた人が多かったようである。渥美は新珠三千代の熱狂的ファンを自称していたため、結婚の際は『新珠三千代さんごめんなさい。』の迷コメントを出した。
  
芸能界の関係者ともプライベートで交際することはほとんどなく「男はつらいよ」シリーズで長年一緒だった山田洋次や、黒柳徹子、関敬六、谷幹一でさえ渥美の自宅も個人的な連絡先も知らず、仕事仲間は告別式まで渥美の家族との面識はなかった。
  
これは渥美が生前、私生活を徹底的に秘匿し、「渥美清=寅さん」のイメージを壊さないためであった。このきっかけは、街を歩いていた時に、見知らぬ男性から「よお、寅」と声をかけられてからの事だと語っている。実生活では質素な生活を送っていたようで、車は一台も所有しておらず、仕事での食事も店を選ばずに適当な蕎麦屋で済ませていたという。
  
長男の田所健太郎は、ニッポン放送の入社試験の際、履歴書の家族欄に『父 田所康雄 職業 俳優』と書いたことから、採用担当者は大部屋俳優の息子と思っていたが、後に渥美清が彼の父親として来社し社内は騒然となった。
  
            (以上、渥美清 - Wikipedia より抜粋・転載)
   

2019.09.11
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