レポート  ・トマトの話し   
− トマトの話し −
これだけ猛暑が続くと食事も、冷しソーメンや冷奴などの、涼し系、あっさり系が多くなるのではないでしょうか。そんな中で、新鮮な野菜サラダにトマトは欠かせませんが、サラダのようにそのまま食べる料理のほかに、イタリア料理のピザやパスタ用ソース、インドのカレーやヨーロッパのシチューやスープなど、手を加えたトマト料理もよく知られています。
 
また、ケチャップやソースの原料にも使われるなど、各国で広く利用されていますが、グルタミン酸の濃度が非常に高いためうま味があること、酸味があること、などがその理由として挙げられるそうです。
 
今でこそ、食用として広く利用されているトマトですが、1519年にメキシコからヨーロッパに持ち込まれた当時は、もっぱら観賞用とされ、食用として現在のかたちになるまでには長い年月が必要だったようです。
 
トマトは、ナス科ナス属の植物で、わが国では赤茄子(あかなす)、蕃茄(ばんか)などともいわれますが、ナス科の植物にベラドンナという草木があるそうです。西欧で自生する多年草で、黒紫色の、ややブルーベリーにも似たその果実の汁を瞳にさすと、瞳孔が拡散してパッチリお目目になり、美人に見えるのだそうです。よって、その名前ベラドンナは、イタリア語で美しい貴婦人を意味するそうです。
 
しかし、このベラドンナという植物は、小さな子供ならその実を5、6粒も食べれば命が危ないというほどの猛毒を持った、絶対に食してはいけない植物だそうです。ヨーロッパに持ち込まれた当時のトマトは、このベラドンナに似ていたため、有毒植物であると信じる人も多く、観賞用とされていました。
 
そのうち、イタリアの貧困層で食用にしようと考える人が現れ、 200年にも及ぶ開発を経て現在のかたちになったそうです。これがヨーロッパへと広まり、一般的に食用となったのは18世紀のことでした。
 
一方、北アメリカでは、その後もしばらくは食用としては認知されす、町の裁判所前の階段で食べてみせ、トマトに毒のないことを証明する人が現れたりだったそうです。1793年当時、アメリカは輸入の際、果物には関税がかからず、野菜には関税が課せられていました。このため、トマトの輸入業者は、税金がかからないようにと『果物』と主張しました。
 
それに対して、農務省の役人は『野菜』だと言い張り、両者一歩も譲らず、さらに植物学者も加わり、論争はエスカレート。とうとう最高裁判所の判決を仰ぐことになったのだそうです。判決は『野菜』。裁判長はずいぶん悩んだと思われ、判決文には、『トマトはキュウリやカボチャと同じように野菜畑で育てられている。また、食事中に出されるが、デザートとしては出されない』と書かれていたそうです。
 
ちなみに、韓国では現代でもトマトは果物の一種と考えられることも多く、輪切りにしたものに砂糖をまぶして食べるのが最もありふれた食べ方のひとつだそうです。日本には江戸時代の寛文年間頃に、長崎に伝わったのが最初とされますが、青臭く、また真っ赤な色が敬遠され、当時は観賞用で『唐柿』と呼ばれていました。日本で食用として利用されるようになったのは明治以降で、さらに日本人の味覚にあった品種の育成が盛んになったのは昭和に入ってからでした。
 
トマトが苦手の人や子供たちにとっては、トマトは微妙な味だったり、また、トマト好きな人にとっても青色の実は微妙な臭いだったりです。トマトは、その味や臭いの微妙さと同様、微妙なエピソードを持った野菜のようであります。連日の酷暑なら、いっそのこと、熱々のトマトスープはいかがでしょうか?
 
【参考にしたサイト】
[1]部分的に、トマト − ウィキペディアから転載、編集。
[2]ベラドンナについては、下記のサイトを参考にしました。

    → http://www.h5.dion.ne.jp/~allinone/words/belladonna.html
 

2008.07.30
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