レポート  ・トカラ列島   
− トカラ列島 −
トカラ列島をご存知でしょうか。鹿児島県本土から南へ60kmの屋久島と約 380kmの奄美大島の間に点在する12個の島々(7つの有人島と5つの無人島)からなる列島で、最も大きな島である中之島でも、面積が約35平方キロメートル(周長30km)で人口が158人。7つの有人島の総人口は 684人(2015年12月31日現在)。行政上は、トカラ列島のみで鹿児島県鹿児島郡十島村(としまむら)を形成しています。村役場は鹿児島市泉町にあります。
 
トカラの名の由来には、沖縄・奄美地方で沖の海原を意味する『トハラ』から派生したという説、宝島に乳房の形をした女神山があることから、アイヌ語の乳房を意味する『トカブ』に由来するという説、また宝島の『タカラ』から派生し、列島全体を指すようになったという説などがあるそうです。
 
 §1 位置(地図)
 
先日(2017年7月18日)乗った鹿児島発・沖永良部島行きの日本エアーコミュータ機から、平島(人口66人)、小島(無人島)、小宝島(人口58人)、宝島(人口133人)、上ノ根島(無人島)、横当島(無人島)を確認できました。絶海の小さな孤島なのに日常の営みがあるのだと思って感動したものです。まず下の地図と写真をご覧下さい。
  
 §2 歴史
 
大和時代には、今でいう南西諸島(九州南端から台湾との間に弧状に連なる島々)を経由した中国大陸との交流が活発化しており、覓国使(べっこくし、くにまぎのつかい)と呼ばれる朝廷の調査隊が南島に派遣されたりしていました。
 
平安時代初期に編纂された勅撰史書『続日本紀』には、 699年8月19日(文武天皇3年七月辛未)に、多ね、夜久、菴美、度感の人が物を貢いだことが記されているそうです。これらの地名は、それぞれ種子島・屋久島・奄美大島・トカラを指し、続日本紀のこの記述が、トカラが日本と通じた始まりだとされます。
 
トカラ列島は過去には、『七島』(しちとう)とも呼ばれていました。『シチトウ』というカヤツリグサ科に属する植物があって、これを原料にした畳表は非常に丈夫なため、柔道用の畳に使われてきました。
 
シチトウの苗は江戸時代にトカラ列島から豊後国日出藩(現在の大分県日出町)へ持ち込まれ、後に全国の家庭の畳表に使われるようになりました。『シチトウ』の名は、トカラ列島が『七島』とも呼ばれていたことに由来します。
 
中世時代になると、トカラ列島の島々は、平家一門の日宋貿易、南海貿易における海上交通の標識になりましたが、元暦2年(1185年)の壇ノ浦の合戦で源義経軍に敗北した平家一門は、西走して九州各地に上陸、その一部がトカラ列島の各島々にも上陸したといわれます。トカラ列島の全島のほとんどに平家末裔の伝承が残っているそうです。
 
近世では、トカラ列島の島々は薩摩藩直轄領となり船奉行の支配下に置かれました。各島々に島役(郡司、横目、浦役、名頭)を配置し、口之島、中之島、宝島には在番を置いて島政が行われました。
 
江戸時代の末期の文政7年(1824年)に、宝島の沖合にイギリス船が現れ、数人のイギリス人が小船を使って上陸し、食用の牛の譲渡を求めますが、島の人たちに断られ、腹いせに銃を乱射して牛を殺して強奪するという事件が起きました。
 
藩庁より出張中の役人らが応戦し、イギリス人一人を射殺しました。この事件を重くみた徳川幕府は翌年、異国船打払令を発令しました。ペリーの黒船出現より30年早い出来事でした。この事件にあった一帯はイギリス坂と呼ばれているそうです。
 
昭和21年(1946年)2月、連合国総司令部の宣言により、トカラ列島はアメリカ軍の軍政下に置かれました。以後、同じように軍政下に置かれた奄美群島と提携しながら、日本本土復帰のための運動を展開し、1952(昭和27)年2月10日に復帰が実現し、十島村が発足しました。
 
 §3 文化・民俗 
 
トカラ列島海域は、潮の流れが速く、また付近の潮流の変化も激しく、昔から七島灘(しちとうなだ)と云われた航海の難所です。生物学的には亜熱帯と温帯を隔てる渡瀬ラインが悪石島と小宝島の間を通っています。
 
民俗学的にも大和(本土)文化と琉球(奄美・沖縄)文化が混じり合い、鹿児島県無形文化財に指定されている悪石島の『仮面神ホゼ』のような、トカラならではの珍しい民俗文化が今なお継承されています。
 
『仮面神ホゼ』は、旧暦7月16日に出現する来訪神で、盆行事の最終日に踊りの輪に中に飛び込んで盆行事の幕引きをします。盆行事の幕を引くことで、人々を死霊臭の漂う盆から新たな生の世界へ蘇らせる役目を持つとも解釈されているそうです。いつか見に行くのを楽しみにしています。 
 
トカラ列島の位置
JAC(日本エアーコミュータ)の機内で頂いたルートマップ接写・加工。
トカラ列島の島々と人口
平島(たいらじま) 
以下、島の写真はJAC3081便(鹿児島 → 沖永良部)の機上から
2017年7月18日撮影。
左から、小宝島(人口58人) 、小島(無人島)
宝島(人口133人)
左から、上ノ根島(無人島)、横当島(無人島)
出典 www.pref.kagoshima.jp 
【参考にしたサイト】
(1)トカラ列島 - Wikipedia
(2)ボゼ - Wikipedia
(3)十島村(トカラ列島)について 〜 鹿児島県十島村役場 企画観光課

2017.07.24
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