レポート  ・オットイ田の神   
− オットイ田の神 −
田の神を石に刻み豊作を祈願する風習は、18世紀初め(江戸時代中期)旧薩摩藩領内に始まった独自の文化で、現在約2000体の石像、いわゆる『田の神さぁ』(タノカンサァ)が確認されているといわれます。田の神像には、神官型、地蔵型、農民型などがあって、特に農民型には素朴でユーモラスなものが多いです。
 
神様といっても田の神は、『絶対にたたらない神様』といわれます。10月になると、日本中の神様が出雲に集まって会議を開くので、他の地では神様が留守となることから、10月を神無月(かんなづき)というようになったそうですが、田の神だけは土地に残って人々を見守り続ける神様であると伝承されてきました。
 
つまり、田の神は、年に一度『田の神舞』(タノカンメ)や『田の神講』(タノカンコ)などのお祭りをして感謝する以外は、朝夕取り立ててうやうやしく祟(あがめ)る神様では決してなかったのです。農村のそこいら付近のあぜ道に立っていて、ただ田んぼと農作業の日常を見守り続けてきた庶民的な神様でした。
 
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昔は、『オットイ田の神』という面白い風習があったそうです。『オットル』とは、『取る』がなまって盗むことを意味する方言で、オットイ田の神とは、盗まれた田の神のこと、あるいは田の神を盗む風習のことを意味します。
 
豊作の続く地区の田の神像を田んぼに置くと、米が良くとれるというので、よその田の神像を盗んでいたというのです。また、田を新しく開田したばかりのところには田の神がないので盗みに行きました。
 
実際には、借りてくるのですが、数年経つと返却します。田の神さぁを手車に乗せ、お礼いに米俵や餅や酒、ニワトリなどを積んで、正装した行列が、三味や太鼓を鳴らしながら田の神様を送っていきます。盗まれた村では、サカムケ(坂迎、酒迎)の準備をし、村境まで迎えにいって、合同で盛大な酒盛りを開くのです。
 
しかし、盗みっぱなしの場合も多かったので、盗まれないように大きな石像の田の神が作られたり、田の神の所在を明らかにしないところもあったそうです。
 
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宮崎県えびの市の南松岡の『オットイ田の神』は、豊作をもたらす田の神として評判が良く、近隣の地区へよく盗まれたことのあるお方で、実に味わいのある顔をしています。頻繁に盗まれていたからでしょうか、えびのの田の神としては珍しく祠(ほこら)を持たず、コンクリートの台座の上に祀(まつ)られています。
 
この田の神像が立っている通りは、『田の神通り』と呼ばれ、子供たちが創作した思い思いの田の神像も並んで立っていて、とても微笑ましい光景です。田の神信仰の心が今に伝えられています。
 
【参考】 南松岡の『オットイ田の神』は下記のページでご覧になれます。
旅行記 ・えびの市の田の神(2) − 宮崎県えびの市
 

2006.12.20 
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