レポート | ・薩摩琵琶 |
− 薩摩琵琶 −
§1 薩摩琵琶士・徳 将城 今年(2023年)の2月、東京在住の薩摩琵琶士・徳 将城(とく しょうじょう)さんからメールを頂き、琵琶弾奏のご案内を頂きました。徳さんは、鹿児島県出身で、20歳まで現在の鹿児島県薩摩郡さつま町船木に住んでおられたそうです(但し、校区は山崎の方で山崎小学校、中学校卒業)。 18歳から鹿児島市で薩摩琵琶を習われ、20歳から上京し現在も薩摩琵琶を続けておられるとのことです( → https://www.tokubiwa.jp )。今回帰省されて、4月8日(土)に真宗大谷派・同朋寺(鹿児島市坂元町)で、琵琶歌「蓬莱山」と「城山」を弾奏されました。 撮影させて頂いた写真とスマホで録音した音声で、「城山」の始まりから5分間のフォトムービーを作成しました。「城山」は、西南戦争で自刃した西郷隆盛を偲んで勝海舟が4年の歳月をかけて作った歌で、琵琶歌の名曲といわれます。薩摩琵琶の雰囲気をご鑑賞下さい。 §2 郷中教育と薩摩琵琶 郷中教育では「座頭講」(ざっつこう)という催しが盛んに行われたといわれます。座頭とは盲人の琵琶法師のことで、座頭を招いて薩摩琵琶を弾かせ、それを聴きました。間断のない文武の講習、身心の鍛錬に対して慰安の油を差し込む催しでした。 日清戦争の連合艦隊司令長官だった伊東祐亨元帥は、降伏を決めて服毒死を遂げた清国・北洋艦隊提督の丁汝昌の遺体を送らせるため、没収した軍艦の中から商船をはずして提供しました。 その礼節はタイムズ誌で報道され、世界を驚嘆せしめたのですが、大本営は伊東長官のこの独断の処置を不当とし、電報を打ってその故を質しました。それに対し、伊東長官はただ一言、「武士の情」と返信したので、大本営はそのまま黙ってしまったそうです。 後年、同元帥は、「これも全く琵琶歌によって培われた武士道精神の発揮にほかならない」と語られたそうです。伊東祐亨は、政治権力には一切興味を示さず、軍人としての生涯を全うした人でした。 島津家初代・島津忠久に従って薩摩に下った宝山検校(ほうざんけんぎょう)が現在の鹿児島県日置市吹上町に建立した『中島常楽院』が薩摩琵琶の発祥の地です。焼酎「宝山」の銘柄名は宝山検校に由来します。 |
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【参考】 『郷中教育』については、下記のページが参考になります。 → https://washimo-web.jp/Report/Gojyu.pdf |
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