コラム | ・史跡佐多薬園賛歌 |
− 史跡佐多薬園賛歌 −
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かつての薩摩藩直営の植物園の跡である『佐多旧薬園』(鹿児島県肝属郡南大隅町佐多伊座敷)を囲む石垣に、昭和35年(1957年)に刻まれた島津氏30代当主・島津忠重(1886年〜1968年)の『温故知新』という揮毫(きごう)とともに、『史跡佐多薬園賛歌』と題する歌が刻まれています。 『紀家後裔 宮里芳水』とある歌の作者は、南大隅町の文化財保護委員の方にたずねたところ、佐多旧薬園がある地元の郷土史家で文化人の方であろうとのことです。佐多旧薬園に対する思いが詠まれていますので、以下に転載しました。 『史跡佐多薬園賛歌』(紀家後裔 宮里芳水) 先覚の藩主島津がいとなみし薬園ここに史跡となりぬ 石ぶみを撫でつつ思ふ貞享の昔植ゑにし殿の心を 観光によき資源なり植ゑつぎて碑文とともにいとほしむべし 富太郎も蘆花も国男もモーランも遙けくも来てここに佇ち(たち)しか 富太郎が名づけしからに佐多草は天下に佐多の名を知らしめぬ 南国の佐多にぞみのる龍眼は枝もたわわに秋盛んなり 美味珍菓不老長寿の薬味とやむべ楊貴妃が食べしといふらん 龍眼酒飲みてうつつにさからはずとろりと見しは楊貴妃の夢 バンジロー枝いっぱいになりこぼれしたたるほどの蝉時雨かな 仏桑花燃えてこがれてくれなゐの焔を吐かん悲恋のごとくに 楽園の佐多草こそはいとしけれ紅き蘇鉄の実の落つる辺に 殿様が手植ゑの椰子はどこの産雄木一つにて雌木や恋ふらん そびえ立つゴムの太葉に映ゆる陽やからりと晴れし常夏の國 隼人なる薩摩の島津隼彦が植ゑそめしより隼人瓜といふ 結髪凛それ帯刀のつかの間も国を思ひき民を思ひき 薬草園めぐるいく代の春に逢ひ花を咲かしめ実をならしめぬ 後の世も語りつたへん石ぶみにとまりで鳴くやつくつく法師 常夏の珍果魚介に恵まれてここ亜熱帯人のよろしき 青嵐今日は南の果ての佐多岬に行かん茘枝(レイシ)食べつつ 檳榔(びんろう)の葉なりさやかに黒潮の誘ふ南風に蘆花は来しなり (注1)徳富蘆花が佐多岬の突端に立ったのは明治38年(1905年)のことでした。蘆花の兄・蘇峰が毛筆で書いた蘆花の歌『黒潮の誘ふ南風に我が衣吹かせて立つや佐多の大岬』が南大隅町の佐多岬ふれあいセンターに残されています。また、柳田国男・著『故郷七十年』には『佐多の岬の突端へ行ったのは大正九年の十二月三十一日であった』とあります。 (注2)コショウ科の多肉生・多年生草本であるサダソウ(佐多草)は植物学者・牧野富太郎によって佐多岬で発見されたのでその名が付けられました。 (注3)レイシ(ライチ)はその上品な甘さと香りから中国で古代より珍重され、楊貴妃が華南から都長安まで早馬で運ばせた話が有名だそうです。 (注4)仏桑花(ぶっそうか)はハイビスカスのことです。 (注5)ハヤトウリ(隼人瓜)は熱帯アメリカ原産のウリ科の植物で、薩摩に渡ってきたのでその名があります。 下記の旅行記があります。 ■旅行記 ・佐多旧薬園 − 鹿児島県南大隅町
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2019.02.06 | ||||
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