コラム  ・六月灯   
− 六月灯 −
鹿児島から宮崎県都城市にかけての旧薩摩藩領内では、7月の約一月間、子供たちが角灯籠に思い思いの絵を描いて奉納する『六月灯』(ろくがつどう)が、あちこちの神社で開催され、夏の風物詩となっています。
  
19代藩主島津光久公が鹿児島の城山にあった上山寺新照院の観音堂を再建した折の旧暦6月18日、沿道に沢山の灯籠をかかげて、道の明かりにしたのが始まりだといわれます。また、島津家初代忠久公の命日が旧暦の6月18日で、島津家や家臣が供養の際、灯籠を灯したことから始まったともいわれます。
  
いずれにしても旧暦の6月頃は、人や家畜が病気にかかりやすく、田畑では病害虫が発生しやすい時季なので、庶民の間では、それぞれの村ごとに灯明をともして厄払いを祈願する行事として『六月灯』が広まっていったようです。
  
島津斉彬(なりあきら)公を祀る鹿児島市の照国神社や西郷隆盛の南洲神社などの著明で大きな神社から、街角や鎮守の森の小さな神社を含めて、毎晩どこかで六月灯が開催されるのです。
  
六月灯は、町内会や子供会の活動行事に取り込まれ、近くに神社がないところでは公民館などで開催されます。小学生の子供たちは、あらかじめ配布された障子紙や習字紙に人気漫画やアニメのキャラクターなどを思い思いに描き、午後より公民館に持参します。
  
親たちも手伝って直方体の木枠に貼り付ければ、オリジナル角灯籠の出来上がりです。中学校のお兄さんお姉さんたちは、早めに公民館に集まって、公民館の門の上に掲げる大灯籠の制作です。自慢の達筆な習字の見せどころです。
  
日が沈む頃になると、大灯籠と庭に並べて吊り下げられた角灯籠のろうそくに火が灯され、子供たちの描いた絵が夕闇に浮かびあがります。子供たちにはジュースやスイカなどが振る舞われ、ひと昔前までは、町の教育委員会が貸し出す8mm映写機を借りてきて人気アニメなどを上映したものでした。
  
灯籠コンテストの審査は、町内会やPTAの役員たちの役割です。アニメが終ると灯籠コンテストの成績発表があって、子供たち全員に花火が配られます。今度は、灯籠の灯りを消して、花火を楽しんで終わりとなります。このように、六月灯は、青少年育成や親子のふれあいの場にもなってきました。
  
去来するのは、障子紙や習字紙にキャラクターを描いた子供の頃の、そして子の親となった子育ての頃の六月灯の思い出です。
  
【備考】
(1)鹿児島市の照国神社で行われるのが最も規模の大きい六月灯です。2005年の六月灯の風景が下記のページにあります。
 ・旅行記 六月灯〜鹿児島市
 
(2)宮崎県都城市では、神柱宮(かんばしらぐう)の六月灯に合わせて、『おかげ祭り』という祭りが、毎年7月8日の宵祭り(献灯祭)と9日の本祭り(御輿渡御)の2日間の日程で開催されます。『宵祭り』では、八坂神社から神柱宮までの目抜き通りを、明かりを灯した大灯籠山車と、笛や太鼓の囃子手を乗せた台車それぞれ数台が曳かれる献灯祭が行われます。
 ・旅行記 都城六月灯 おかげ祭り − 宮崎県都城市
       

2009.07.15  
あなたは累計
人目の訪問者です。
 − Copyright(C) WaShimo AllRightsReserved.−