エッセイ  ・ねずみ捕り 〜 猫のお話し(2)   
− ねずみ捕り 〜 猫のお話し(2) −
TVドラマ脚本家・エッセイストだった向田邦子さんは無類の猫好きで知られていて、エッセイにも度々猫を登場させています。『思いでトランプ』(新潮文庫、1983年5月発行)に収録されている『酸っぱい家族』という短編は、50を越えた会社勤めの主人公・九鬼本が、朝、飼猫が鸚鵡(おうむ)をくわえてきたのに起こされる場面から始まるエッセイです。
 
5年前に建売を手に入れたとき、新宅祝いにと直属の上司がくれた牡の虎猫で、もともと鳥を獲るのが得手で、それまでにも雀や尾長を見せに来たことはありましたが、こんな大物ははじめてでした。
 
  『どうするの、パパ』
  こういうとき必ず女房は九鬼本をそしる口振りになる。
  『どうするといったって、死んでしまったものは仕方
  ないだろう。
  そのへんに埋めるんだな』
  『うちの庭はいやですよ』
 
結局、九鬼本は鸚鵡を紙袋に入れて家を出る羽目になります。どこにでも捨てられるさと軽い気持ちで家を出た九鬼本でしたが、意外に捨てるということが難しいことを思い知ります。個人のゴミ箱、共同のゴミ置場、駅の便所、国電の網棚。今度こそ捨てるぞと思うものの捨てきらずに、会社のロッカーへ。挙句の果てに、銀座のバーに持ち込むことになります。
 
  もうすこしすると終業のベルが鳴る。
  ロッカーをあけて紙袋を出し、胸に抱えてゆきつけの銀座の
  バーへゆこう。出迎えるマダムにこれを渡して、捨ててもう
  らうことにしよう。
  この店にはもうひとつ、捨てなくてはならないものがある。
 
さて、猫には、ねずみや雀などの獲物を捕らえた際、その場で食べずに安全な場所まで運んで食べる習性や、子猫に持ち帰って与え、何が食べられるかを教える習性などがあるといわれます。
 
向田さんのエッセイにもあるように、飼猫が捕らえた獲物をよく懐(なつ)いた人に見せにくることはよく知られています。理由は定かではありませんが、狩りの下手な飼い主に餌を与えているつもりだとか、猫は家族に餌を運ぶ習性があるので、懐いた人間を家族と見なしているゆえの行動だといった説があるようです。猫は”三年飼われた恩を三日で忘れる”などといわれ、恩知らずだと考えられていますが、そんな猫にしては何と律儀なことでしょうか。
 
ですから、せっかく運んできた『成果物』を無下に捨ててしまうことは猫にショックを与えることになりかねないので、獲物の処分は冷静に、猫の見ていないところでそっと行うべきだそうです(ネコ − Wikipediaより)。
 
本HPの管理人が、早朝の5時頃、捕ったねずみを口にくわえて飼猫が見せにきたのに起こされたのは、もう10数年前の梅雨が明けた7月中旬のことでした。
 
わが家の2代目の飼猫だった白のチンチラの『フク』(福太郎)と3代目のアメリカン・ショートヘアの『ダイ』(大)は、ねずみや鳥やモグラなどを獲るのが上手でした(初代の『クロ』(黒)は、子猫の捨て猫がわが家に入り込んで成長した黒猫で、生まれつき前の右足がなかったので狩りは出来ませんでした)。
 
その2代目の『フク』が、夜が白々明けた早朝、枕元で行ったり来たりしているのに起こされ、何ごとかと見ると、驚いたことに口に大きなねずみをくわれています。行ったり来たりをなかなか止めないので、『そうか、褒めて欲しいのだな!』と気づき、『よくやったな!』と頭を撫でてやったのでした。
 
その当時、長男と次男は、自宅から片道30km以上離れた薩摩川内(せんだい)市内の高校と中学校にバスで通っていました。著者の職場も薩摩川内市内にあったので、朝は途中まで通勤の車に乗せてあげていました。
 
フクがねずみを捕ってきたその朝も二人を後部座席に乗せて、7時過ぎに出勤の途につきました。ところが、市内に入る手前でスピード違反の取り締まりに引っかかってしまったのです。
 
スピード違反の取り締まりは、”エサ(速度の出やすい路線)を使って罠を張る(物陰に隠れて速度を測定する)”の意味から、俗に、『ねずみ捕り』といわれています。私たち親子三人は車共々、その朝、猫の口にくわえられた”ねずみ”と化したのでした。
 
その後そこを通るときは、速度に注意して運転するようになったのですが、あの日から10数年来、そこでスピード違反の取り締まりは二度と行われていないのです。二人の息子たちもそれぞれ独立して家庭を持ち、チンチラ猫のフクもとっくに亡くなった今、あの朝の夢幻のような出来事は懐かしい思い出になっています。
   

2011.07.13  
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