雑感  ・燃費の良い人たちについての考察   
− 燃費の良い人たちについての考察 −

世の中には、少し食べただけで太る体質の人と、同じだけ食べてもなかなか太らない体質の人との2つのタイプがあるようです。


すぐ太るタイプの人は、カロリーの摂取効率が良いのか、身体の動きの機械効率が良いのか、太らないタイプの人に比べて、少ないカロリーで生きられる人たちです。車で言うと、同じ距離を走行するのに少ない燃料ですむ、いわゆる燃費が良いということになります。


燃費が良いのは結構ですが、どうもシステムとして問題があるようです。私たちの身体には、カロリーの摂取を促(うなが)すための「空腹感」「食欲」というセンサーと、カロリーの摂取を抑制するための「満腹感」というセンサーが取り付けられています。


燃費の良い人は、少し食べたらすぐ満腹感を感じるようにセンサーの感度を上げ、逆に、時間がたっても空腹感や食欲を感じないようにセンサーの感度を下げておけば良いわけです。そうしておけば、燃費の良い人も必要なだけのカロリーが身体に供給されることになって問題が生じません。


最近の機械装置の自動制御システムは、必ずそのように作動するよう設計され、作られています。現に、燃費の良い車のエンジンは、必要以上の燃料は取り込みません。


しかし、我々の身体は、例えば年に一回人間ドック入りして、満腹感や空腹感、食欲というセンサーを最適な感度にチューニング(調整)するということができません。このことは、システム工学の見地からすると、まことにもって不合理なことです。


従って、燃費の良い人も、なかなか太らないタイプの人たちと同量のカロリーを取り込むことになります。取り込まれた余分な燃料は燃焼されず、エンジン室にだぶついて、燃費の良い折角のエンジンの性能を害することになります。


そこで、燃費の良い人たちは、体内に取り込まれた余分なカロリーを正常に燃焼させるために、本来は必要とされない面倒で根気のいるエクソサイズ(運動、トレーニング)を実行しなければなりません。


余分なカロリーが体内に供給されたら直ちに、自動的にプログラムが起動して、エクソサイズをしたくて、いても立ってもいられないと言うふうに身体を仕向けてくれたらまだ良いのですが、残念ながら私たちの身体はそのようにプログラミングされていません。


面倒で根気のいる行為を実行するかしないかの判断は手動(マニュアル)で、もっぱら私たちの脳の自主的判断と実行力に委(ゆだ)ねられています。


朝早くから野山に出かけて獲物を追っかけたり、木の実を探し歩いて食料を確保する必要のあった古代の頃は、頑丈な体躯(たいく)が必要とされました。今日、私たちは机に座ったままで一日を過ごすようになりました。別に怠けているわけではなく、仕事の形態が変わったのです。にもかかわらず、私たちは相変わらず古代の頃と変わらない体躯を持ち合わせています。


仕事の形態の変化に身体の進化が追いついていないばかりか、私たちを取り巻く今日の環境は、食べよ! 飲めよ! と言わんばかりに美味しいものが溢(あふ)れているグルメ時代です。


人間に比べて、火星人の体形は極めて合理的です。かれらは、ほとんど体力を使わないで、もっぱら頭脳だけで生きているのでしょう。体躯は極端に細くスリム化し、頭でっかちです。一日に栄養カプセルを2〜3個も服用すればそれで事足りるでしょう。


彼らは、飲み食いするという快楽の代わりに、数億光年という距離を短時間に移動できたり、未来や過去を見通せる知的快楽を供与されているのかも知れません。私たちの身体もやがて火星人のように進化するのでしょうか。しないのでしょうか。


衣食住のうち、衣と住は、経済的な事情が許せば過ぎることはありませんが、食だけは、過ぎれば害になります。加えて、現代は、生きるために必要なカロリーや栄養を摂取するという本来の目的を超えて、食を楽しむという時代です。そのような中で、どのような食生活を送るか。それは、もっぱら自分の脳の自主的な判断と実行力に任(まか)されているという、システム工学の見地からの至極当然の考察でした。


著者が、なぜこのような雑感を書くかと申しますと、著者も燃費の良い人たちの一人で、減量を課題としているからです。燃費の良い面々の方々、頑張りましょう!

2004.11.19  
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