コラム | ・俳句鑑賞『夏休み』 |
− 俳句鑑賞『夏休み』 − |
もうすく小中学校・高校は夏休みに入る。夏休みと言えば、吉田拓郎(1946年4月5日〜)が1971年に発表した楽曲『夏休み』を思い出す。「麦わら帽子はもう消えた〜♪、たんぼの蛙はもう消えた〜、姉さん先生もういない〜♪、きれいな先生もういない〜、それでも待ってる夏休み〜♪ 吉田拓郎は、鹿児島県大口市(現在の伊佐市)で生まれ、1952年春、鹿児島県谷山市(現在の鹿児島市)に転居し、谷山小学校に2年生まで在学した。姉さん先生とはそのときの担任の先生のことだという。 9歳の小学校3年のとき広島市へ転居。それから広島市で育った。そのこともあってか、ヒロシマ原爆投下に対するメッセージソングだという都市伝説があるそうだが、拓郎自身はオフィシャルサイトで『ただひたすらに子供だった時代の懐かしい夏の風景を描いた絵日記なのである。 実在した鹿児島時代の"姉さん先生"も広島時代によく"トンボ獲り"で遊んだ夏もすべてが僕を育ててくれた"夏休み"なのだ』『反戦歌などでは断じて!ない!』と否定しているという。(以上、Wikipedia - 夏休み (吉田拓郎の曲)より引用) さて、なるほどと納得する、夏休みを詠んだ俳句をいくつか取り上げてみた。 団塊の世代が小学生時代(昭和30年代)の夏休みは、「夏休みの友」「絵日記」漢字の「百字練習」などの宿題があった。絵日記は絵を描いて、毎日の天気を記入する欄があった。それに、図画・工作、自由研究など、宿題が結構あった。 幼稚園の方が楽しい夏休 志方章子 毎日決まった宿題をこなそう、規則正しく過ごそうと計画を立てるが、遊び優先になって、計画通りにはなかなかいかない。水泳に出ると、一日中川に浸かって、夕方には唇が紫色になった。 始まりは計画どほり夏休み 志野蕗 計画はあつてなきもの夏休 涌羅由美 毎日の宿題の中でも、絵日記は、絵を描く必要がある上に、そのうち書く題材に事欠いてくる。毎日同じことは書けないし。また、天気を書く欄は、毎日書くことがなかなか出来ず、最後は新聞頼みだったものである。毎日書かないとページが余る。 手伝へば日記書ける子夏休 楯野正雄 絵日記に残りし頁夏休 稲畑汀子 自由研究は、昆虫採集やカブトムシなどの飼育、蟻の巣の観察などが定番だった。また、ウサギを飼育したりメダカを飼ったりして観察をする友だちもいた。最近では、夏休みの自由研究用に何十種類もの飼育セットが通販されている。 子の部屋は飼ふもの多し夏休み 酒井みゆき 瓶ふつて虫をころがす夏休み 桂信子 むささびに餌やりに行く夏休 伊藤律子 日頃は昼間学校へ預けている子供が家中でごろごろしていたり、言いつけを聞かなかったりしたら、親も小言を言いたくなる。腕白盛りの子供だから叱られて当然であった。遠慮なく叱り、遠慮なく叱られていたあの頃が良かったとも思われてくる。 他所(よそ)の子もまとめて叱り夏休 白根純子 子を叱ることにも疲れ夏休み 成嶋いはほ 夏休み最後の日まで叱られて 小林朱夏 口答へ巧みになりし夏休 東亜未 日頃映画の見れない田舎の子供たちには、夏休みに学校や公民館などで、人気のある映画の撮影会をしてくれた。花火大会のある夜など、野外にスクリーンを設置して上映してくれたりした。 映写機の油のにほひ夏休 篠田純子 校庭の大スクリーン夏休 刈米美代子 親にふるさとのある子供たちにとっては、夏休みは親のふるさとを経験してみるいい機会になった。例えば、ジュニアパイロットという航空会社のサービスがあって、お盆の前に子供だけ早めに帰省させることができる。 ふるさとは東京である夏休 内藤ゑつ ふるさとの無い夏休み静かなり 亀山幽石 そうこうして、いよいよ夏休みが終わる8月31日の夜は、どの家も親子ともども忙しいものであった。 夏休み終る夜のさざめき妻と子 喜谷六花 |
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2023.07.19 | ||||
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