レポート  ・串木野さのさ   
串木野さのさ
鹿児島県の中西部に位置し西側を東シナ海に面した串木野(くしきの)はマグロ遠洋漁業を基幹産業にする町です。この町は毎年7月中旬になると「串木野さのさ祭り」で賑わいます。
 
民謡「串木野さのさ」の調べに振りをつけた「さのさ踊り」の踊り連が市中を練り歩きます。しかし、残念ながら、今年の祭りは、新型コロナウイルス感染症拡大を考慮し、昨年につづき前夜祭・本祭ともに中止となりました。
 
  ・串木野さのさ祭り(過去の写真を使用して作成された動画)
 
 ♪〜 (ハァ〜) 百万の(ハァ ヨイショ)
    敵に卑怯はとらねども(ハァ ヨイショ ヨイショ)
    串木野港の別れには
    思わず知らず胸せまり
    男涙をついほろり(サノサ) 〜♪
 
「串木野さのさ」は、串木野港の漁師たちによって酒席でうたわれてきた唄ですが、長崎県五島の「五島さのさ」が串木野に持ち帰られ、「串木野さのさ」として定着したものだそうです。
 
明治16年(1883年)頃以降、旧串木野市(現いちき串木野市)島平・本浦の漁師たちは、カジキ、マグロを追って、帆船ではるか長崎県対馬近海の漁場まで出かけて行ったといいます。
 
当時の帆船は氷も多く積めないので魚の保存が利かないし、積載能力もないので3日もすれば満船となり、獲れた魚は五島の玉之浦と富江の港に水揚げされました。玉之浦と富江の両港は串木野船ブームに沸き、町は賑やかになりました。
 
明治22年頃より延縄(はえなわ)の餌に鯖(さば)の生き餌が使われるようになると漁獲高も増加しますが、その頃の帆船の労苦は並大抵のものではなかったそうです。早朝、櫓を漕いで玉之浦、富江の港を出ます。
 
夕方対馬近海の漁場に着くと、夜を明かして鯖釣りです。翌日は延縄作業で、午後2時ごろになると交代で櫓を漕ぎ船を進め揚縄作業をしました。そして、揚縄作業が終わると餌釣りをする。これの繰返しでした。
 
そんな労苦の中でいちばんの楽しみは、漁を終えて玉之浦、富江に入港して水揚げした晩、全員で町に繰出しての軽い宴会でした。そのとき芸者衆が唄って聴かしてくれたのが「五島さのさ」でした。
 
 ♪〜 牛を買うならネエ
    牛を買うなら五島においで
    島といえども昔の原よ(ハ ヨイヨイ)
    子牛(べこ)はほんのり赤おびて
    四つ足丈夫で 使いよいサノサ 〜♪
 
  ・五島さのさ(動画)
   
この「五島さのさ」は、鯖の一本釣りで睡魔が襲って来るときの掛け歌に唄われ、自作の「さのさ」も出るようになりました。そして、漁閑期になって故郷へ帰った若い船員たちの間で「五島さのさ」が流行り唄のように歌われるようになりました。
 
昔の帆船は天候の急激な変化に対応できず五島灘で遭難する船も多かったそうですから、漁師たちは覚悟を秘めながら串木野港を出ていきました。「五島さのさ」が源流ですが、漁場へ出て故郷を忍ぶ切なさが歌詞となり、哀調を帯びた「串木野さのさ」に変わって唄い伝えられてきました。
 
    白南風の串木野さのさ漁師町 渡
 
新型コロナウイルス感染症が消息し、また「串木野さのさ祭り」が盛大に開催される
ようになったら、良い写真をいっぱい撮りに出かけます。今からその日を楽しみにし
ています。
 
【参考】このレポートは、南天坊(なんてんぼう、本名・南竹 力)さんのホームページを参考にさせて頂いて書きました。
 
  ・ 「串木野さのさ」 
  ・(Main Page)「ようこそ東シナ海の玄関口、いちき串木野へ」
  

2021.07.14
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