コラム  ・小池文子 〜 俳句は挨拶   
小池文子 〜 俳句は挨拶
ミモザは3月8日の国際女性デーの花だという。ミモザのことを調べていたら、小池文子という俳人と、ミモザを詠んだこの俳人の2つの句に出あった。
 
  さんさんとミモザかかえて夫帰る  小池文子
  ミモザ手にノオトルダムの影を行く
 
ミモザは鮮やかな黄色が印象的な花だけあって、明るい句が多い。一句目がそうである。しかし、二句目はがらりと雰囲気が違う。その違いは何になんだろと関心がわく。
 
小池文子(1920〜2001)は石田波郷に師事した東京都出身の俳人。昭和三十二年に、五年近く留学している画家の夫を追ってパリに渡るが離婚。その後フランス人と結婚。日本語教師をしながら巴里俳句会を主宰。パリに没した。鬼頭文子時代に、第一回角川俳句賞を受賞。第一句集『木靴』がある。
 
昭和四十九年に角川書店から第二句集『巴里蕭条』が刊行された。帯文に、「・・・巴里在住の十六年の歳月は、決して安らかなものでなかったにちがいないが、そのいのちの悲しみも喜びも、作品の清明な光と風となってぼくらの胸にしみとおり・・・」とある。パリ在住の16年間の450句を年代別順に収め、長い後書を付した句集である。その後書に、要約すると次のようにある。
 
俳句を語る一人の友も無い巴里で句を作るのは、自分ひとりの慰みではなく、波郷先生への、遥かな祖国の、懐かしい仲間への挨拶であった。波郷先生が亡くなられた時、私はもう俳句は作るまいと慟哭した。
 
が、耐えがたい孤独の中から、亡き師を慕う同じ思いの日本の仲間へ、いつか挨拶を始めた。連衆とは、座を同じくして句心を交す人達ばかりではない。どこかに句を思う人がいる。そこへ静かに、挨拶はひろがって行く。
 
また、たとえ、連衆が、はるかの地さえいなくても、この現身の立つ地の自然が、わが挨拶を受けてくれはしまいか、というあらたな思いもうごきはじめた。俳句をなすというのは、無心に、無限に自然に参じて、虚の自己を確立していくことである。
 
ところで、ミモザを詠んだ二つの句はともに第二句集『巴里蕭条』の収録作品で、一句目は昭和四十三年にニースで詠まれている。一方、二句目は石田波郷が亡くなった翌年の昭和四十五年にセーヌで詠まれた、「深大寺にて波郷先生の百ヶ日、納骨式了る、と聞く」という詞書のある作品の中の一句であった。    

2022.03.23
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