コラム  ・小池文子 〜 俳句は挨拶   
小池文子 〜 俳句は挨拶
国連が決めた『国際女性デー』という記念日がある。3月8日がその日だ。1904年3月8日にアメリカで女性労働者が婦人参政権を求めてデモを起こしたことに由来するそうだ。
 
3月8日といえば、ちょうどミモザの花が満開の頃である。イタリアでは、3月8日を『ミモザの日』と呼び、男性が日頃の感謝の気持ちを込めて、妻や恋人、身近な女性にミモザの花を贈るのだそうだ。
 
そんなことを調べていて、小池文子という俳人と、ミモザを詠んだこの俳人の2つの句にであった。
 
  さんさんとミモザかかえて夫帰る  小池文子
  ミモザ手にノオトルダムの影を行く
 
ミモザは明るい鮮やかな黄色が印象的な花だけあって、明るい内容の句が多い。一句目の句がそうである。しかし、二句目の句はがらりと雰囲気が違う。その差は何になんだろと関心がわく。
 
小池文子(1920〜2001)は、石田波郷に師事した東京都出身の俳人。昭和三十二年に、五年近く留学している画家の夫を追ってパリに渡るが離婚。その後フランス人と結婚。日本語教師をしながら巴里俳句会を主宰。パリに没した。鬼頭文子時代に、第一回角川俳句賞を受賞。第一句集『木靴』がある。
 
昭和四十九年に角川書店から第二句集『巴里蕭条』が刊行された。帯文に「・・・巴里在住の十六年の歳月は、決して安らかなものでなかったにちがいないが、そのいのちの悲しみも喜びも、作品の清明な光と風となってぼくらの胸にしみとおり・・・」とある。
 
〜 パリ在住の16年間の 450句を年代別順に収め、長い後書を付した句集である。その後書に、要約すると次のようにある。
 
俳句を語る一人の友も無い巴里で句を作るのは、自分ひとりの慰みではなく、波郷先生への、遥かな祖国の、懐かしい仲間への挨拶であった。波郷先生が亡くなられた時、私はもう俳句は作るまいと慟哭した。
 
が、耐えがたい孤独の中から、亡き師を慕う同じ思いの日本の仲間へ、いつか挨拶を始めた。練衆とは、座を同じくして句心を交す人達ばかりではない。どこかに句を思う人がいる。そこへ静かに、挨拶はひろがって行く。
 
また、たとえ、連衆が、はるかの地さえいなくても、この現身の立つ地の自然が、わが挨拶を受けてくれはしまいか、というあらたな思いもうごきはじめた。俳句をなすというのは、無心に、無限に自然に参じて、虚の自己を確立していくことである。〜
 
ところで、ミモザを詠んだ二つの句はともに第二句集『巴里蕭条』収録作品であり、一句目は昭和四十三年にニースで詠まれている。一方、二句目は石田波郷が亡くなった翌年の昭和四十五年にセーヌで詠まれた、「深大寺にて波郷先生の百ヶ日、納骨式了る、と聞く」という詞書のある作品の中の一句であった。
 

2022.03.23
あなたは累計
人目の訪問者です。
 − Copyright(C) WaShimo AllRightsReserved.−