レポート  ・大津波と慶長遣欧使節   
− 大津波と慶長遣欧使節 −
支倉常長(はせくら・つねなが、1571〜1622年)といえば、中学校の歴史教科書に登場した慶長遣欧使節のことを思い出す方は多いことと思います。
 
今からちょうど 400年前の慶長18年(1613年)仙台藩主・伊達政宗(1567〜1636年)は、仙台領内でのキリスト教布教容認と引き換えに、当時スペイン領だったメキシコとの直接貿易を求めて、スペイン国王およびローマ教皇のもとに使節を派遣したのでした。いわゆる慶長遣欧使節です。
  
使節に選ばれた仙台藩士・支倉常長は、慶長18年10月28日、宣教師ルイス・ソテロとともに、仙台藩内で建造された洋式帆船『サン・ファン・バウティスタ号』で、仙台領牡鹿郡月浦(現・宮城県石巻市)を出航しました。
 
太平洋を横断してメキシコに到着した一行は、スペイン艦隊に便乗して大西洋を渡り、スペインに上陸。日本を出てからほぼ一年後のことでした。セビリアで大歓迎を受けた後、コルドバ、トレドを経て首都マドリッドへ到着し、国王フェリペ3世に謁見し、常長は国王臨席のもとで、洗礼を受けてキリスト教徒となりました。

 
支倉常長(仙台市博物館蔵、国宝)(支倉常長 − Wikipedia より) 
 
そして、メキシコとの交易を求める政宗の申し入れを奏上しますが、国王は回答を保留します。政宗がいまだ洗礼を受けていないことと、幕府がキリシタン迫害を行っているとの情報を得ていたのがその理由でした。
 
使節は、最終目的地であるローマに向かい、教皇パウロ5世に謁見しますが、ここでもメキシコ交易への仲介の確約は得られませんでした。結局、常長は、政宗の提案に沿う協定書を入手できないまま帰国の途に着かざるを得ないでした。
 
常長が日本に戻って仙台に帰着したのは、元和6年(1620年)9月のことでした。月浦を出航してから7年の歳月が流れていました。時に、幕府の政策によって海外船の入港は長崎と平戸に限定されていて、常長を迎える空気は温かいものではありませんでした。
 
使節派遣のよりどころであったキリスト教容認の姿勢を覆した政宗との間には軋轢が生じ、常長は帰国後2年後に失意のうちに死去します。常長が持ち帰った品々は、キリシタンに関わるものとして藩に没収され、決して表へ出ないように厳重に保管されました。
  
このため、この後 250年もの間、慶長遣欧使節の存在は忘れ去られてしまいます。やっとその業績が認められるようになるのは、明治6年(1873年)に明治政府がヨーロッパとアメリカに派遣した岩倉具視らの使節によって、訪問先のイタリアで常長の書状が発見されてからのことになります。         
支倉常長の行程(支倉常長 − Wikipedia より)
果たして、常長は捨て石に過ぎなかったのか。使節の成果が目に見えない以上、政宗の企ては、瓦解したというしかないのだろうか。
 
実は、慶長遣欧使節が出航する2年前の慶長16年(1611年)、三陸地震が発生し、その大津波(慶長三陸地震津波)によって、1700人余りとも5000人ともいわれる溺死者を出すなど、仙台藩は大きな悲劇に見舞われていたのです。『宮城県慶長使節船ミュージアム サン・ファン館』の館長・濱田直嗣氏はつぎのようにいいます。
 
”大地震の被害にあえぐ領国を再生するという強い思いが政宗を駆り立てて、波涛を越えて、はるかな海の彼方へと常長を向かわせたのではなかろうか。交易で得られる利益を災害からの復興に役立てたいと考えたのではないのだろうか。”
 
震災からの復興に取り組むなかで、あえて『サン・ファン・バウティスタ号』を建造し、震災の発生からわずか2年後に慶長遣欧使節をヨーロッパに派遣したという事実が、今クローズアップされ、『慶長遣欧使節出帆 400年記念事業』の準備が進められているそうです。
  

サン・ファン・バウティスタ号の復元船(支倉常長 − Wikipedia より)
 
『宮城県慶長使節船ミュージアム サン・ファン館』も東日本大震災の津波で被災し、現在復旧中のようですが、使節が出発した10月までには、館の目玉である復元船『サン・ファン・バウティスタ号』の復旧作業を終わらせ、11月に全館再オープンの予定だそうです。この 400年の記念事業が宮城の皆さんの『元気』と『輝き』を取り戻す大きなエネルギーになることと思います。
【参考文献およびサイト】
(1)〔特集〕〜海を渡った伊達に黒船〜 伊達政宗、慶長使節四百年の謎、トラヴェール2013-4月号(東日本旅客鉄道(株))
(2) 宮城県慶長使節船ミュージアム(愛称:サン・ファン館)
(3) 仙台市博物館 − 支倉常長
(4) 慶長遣欧使節 − Wikipedia
(5) 支倉常長 − Wikipedia

2013.05.01 
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