レポート  ・薩摩上布(さつま・じょうふ)   
− 薩摩上布(さつま・じょうふ) −

鹿児島市にお住まいのまるこさんから俳句を送って頂きました。鹿児島市の谷山港に海上自衛隊の護衛艦が寄航して体験航海があり、それを見に行かれたのでしょう。


      護衛艦見に行く服の上布かな  まるこ


この句の季語は上布(じゃうふ)で夏の季語です。角川書店編・合本「俳句歳時記」には、上布について、『薄地の良質な麻織物。雪晒(さら)しでも知られる越後上布や紺地絣・白地絣・赤縞を特徴とする薩摩上布が有名』とあります。


ここで、『薩摩上布』の薩摩とは、もちろん鹿児島のことです。鹿児島の織物と言えば、大島紬(つむぎ)が思い浮かびます。鹿児島市内をはじめ県本土にもあちこちに織り元があるので、県民のほとんどの人が大島紬のことは見聞きして知っています。それでも、大島紬のことを薩摩紬とは言いません。あくまで大島紬ですから奄美大島を本場とする織物ということです。


それに対して、『薩摩上布』は、薩摩の名が付きますが、県内のどこかで生産されているとか、かつて生産されていたという話を聞いたことはありません。薩摩上布は、薩摩藩による琉球支配とその支配体制が持ちこんだ人頭税に深いかかわりを持っています。


那覇から西南300kmの位置に、サトウキビと観光の島・宮古島(みやこじま)があります。宮古島では、かつて島特産の苧麻(ちょま)という多年草の植物を原料にして上布が織られていました。苧麻の繊維を手績みで一つ一つほぐして一本の糸にして織った『宮古上布』は、強靭でかつ弾力性を持ちながら、その通気性と軽さは蝉の羽のようだといわれ、盛夏の着物地のなかでは越後上布とともに最高級の織物とされていました。


宮古上布の始まりは、1583年、進貢船を難破から救った夫の功績が琉球王朝に認められたお礼に、その妻の稲石(いないし)という人が琉球王に「綾錆布(あやさびふ)」という布を献上したのが始まりだと言われます。錆布というのは、美しい錆び色をした紺上布のことを示しているそうです。琉球列島の南端に位置する八重山諸島でも、古く17世紀から『八重山上布』が織られていました。


ここで、沖縄デジタルアーカイブ『Wonder沖縄』という沖縄県の公式サイトで宮古上布の雰囲気を覗いてみましょう。


  → http://www.wonder-okinawa.jp/010/008/index.html
  → http://www.wonder-okinawa.jp/010/008/gallery/images/pic/004.jpg


1609年、琉球王朝は薩摩藩の支配下に置かれ、重い人頭税が課せられるようになりました。人頭税は、通常は穀物で納められましたが、宮古島や八重山諸島は農地が少なかったため、上布によって代納されました。


琉球王府に納められた上布は、さらに薩摩に貢納され、薩摩はこれを『薩摩上布』と称して江戸や京で販売し、富を築いていったのです。本来の宮古上布や八重山上布の名で呼ばれるようになったのは明治末期に人頭税が廃止されてからのことでした。


このように、宮古上布や八重山上布はあくまで薩摩の産物として珍重されました。もともとは、南国の多彩な染料を使って色上布が多く織られていたようですが、紺絣上布が主流となったのは薩摩の好みに応じたからだとも言われています。夏目漱石の小説『我輩は猫である』にも、薩摩上布が出てきます。


「・・・。細君は隣座敷で針箱の側(そば)へ突っ伏して好い心持ちに寝ている最中にワンワンと何だか鼓膜へ答えるほどの響がしたのではっと驚ろいて、醒(さ)めぬ眼をわざと(みは)って座敷へ出て来ると迷亭が薩摩上布(さつまじょうふ)を着て勝手な所へ陣取ってしきりに扇使いをしている。・・・」(我輩は猫より)


宮古上布や八重山上布は、人頭税廃止後の明治末期〜昭和初期に最盛期を迎えました。現在の生産高はごくわずかですが、国や県の伝統工芸品や重要無形文化財の指定を受けて、伝統技術の保存継承が行われています。


さて、送って頂いたまるこさんの俳句ですが、紺絣の涼しげな薩摩上布の着物を着た貴婦人が突堤から護衛艦を見つめています。日傘(パラソル)を差しています。そんな貴婦人と護衛艦の取り合わせが面白いです。どこのご婦人が何のためにと想像が膨らみます。そして、着物で正装した女性の凛とした姿と凛々しい護衛艦の姿が重なります。


      見返りの上布姿や傘の影  ワシモ


【備考】
雪晒し(ゆきさらし)=「ゆきざらし」とも言う。雪が紫外線を反射することを利用して、晴れた日に雪の上に麻織物・竹細工などを並べて漂白すること。新潟県小千谷などで江戸時代から行われている。
人頭税(じんとうぜい)=担税能力の差に関係なく、人民一人に同額を課する租税。逆進性の高い課税法であり、貧富の差を助長する。現代社会ではあまり見られない課税。

2005.06.08  
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