レポート  ・ジャポニスムとルイ・ヴィトン   
ジャポニスムとルイ・ヴィトン −
この歳(今年の4月で還暦を迎えました)になるまて知らずにいたことが何と多いことかというのが、本HP管理者の最近の口癖になっています。あのルイ・ヴィトンのデザインの誕生に日本文化が大きく関わっていたことを知ったのも、つい一週間前のことです。
 
ジャポニスム(フランス語で Japonisme)とは、フランスを中心にヨーロッパで見られた日本趣味、日本心酔のことで、特に1867年(慶応3年)のパリ万国博覧会をきっかけに、日本美術(浮世絵、琳派、工芸品など)が大人気となり、印象派などの作家たちに影響を与えました。
 
よく知られているのは、例えばモネやゴッホでしょう。印象派を代表するフランスの画家だったモネは、浮世絵の収集家でもあり、妻カミーユに日本の衣装を着せて描き、晩年は自宅兼アトリエに造った庭の池に日本風の橋を掛けてその風景を描きました。
 
アルルでのゴ−ギャンとの共同生活に破れたゴッホは、自分の耳を切ってサン・レミの病院に入院します。一週間後、5月の病院の庭に咲くアイリスを描きますが、その作品には北斎のあやめ版画が影響しているといわれています。『タンギー爺さん』という作品や、耳を切った後に描いた自画像の後ろには浮世絵が描かれています。
 
さて、先週号(12月23日配信)でレポートした『ボンタンアメ』は、1926年(大正15年)製造開始以来、実に83年間変らぬデザインパッケージと風味で、現在も九州地方を中心に日本全国で売られている飴菓子です。デザインを変えないその一徹さは、ルイ・ヴィトン張りではないかと思い、ルイ・ヴィトンのデザインの歴史をネット検索してみたのです。
 
すると、1896年に考案された星と花の柄にイニシャルを組み合わせた『モノグラム』は、日本の家紋をモチーフに作られたとあるのです。そのなかの丸の中に星がデザインされたマークは、薩摩藩、島津家の家紋にヒントを得たというのです。
 
薩摩藩は、慶応3年(1867年)徳川家とともにパリ万国博覧会に参加し、出品した12代沈寿官の白薩摩が世界の絶賛を浴びました。そのとき、徳川家や島津家の家紋を目にした当時のルイ・ヴィトンの関係者らが、それにヒントを得てモノグラムの図案ができたのだそうです。また、『ダミエ』は日本の市松模様をヒントにデザインされたそうです。
 
そういわれれば、ルイ・ヴィトンのデザインにはどこか懐かしさを感じていたな〜と思い出されます。現在、ルイ・ヴィトンの総売上の約3割が日本国内での売上だそうですが、日本人の潜在意識がほのかに香る和風テイストを嗅ぎ付けているのかも知れません。
  
    
          モノグラム                    ダミエ
   

2009.12.30  
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