レポート  ・ 世界遺産 石見銀山   
− 世界遺産 石見銀山 −
島根県大田市の世界遺産・石見銀山(いわみぎんざん)は、遺跡地域への一般車両の進入が禁止されているので、観光車両は一旦、石見銀山世界遺産センター周辺の駐車場に駐車の上、路線バスを利用して遺跡地区に入ることになります。
 
石見銀山世界遺産センターから路線バスで5分、大森バス停で下車して、まず往復5kmの銀山地区散策のあと、片道約1kmの町並み地区の散策をすることになります。すなわち、石見銀山を訪ねる旅は6km前後のウォーキングを覚悟せねばなりません。
 
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石見銀山は、室町時代末期の1526年頃に本格的な開発が始まり、以来およそ 400年に渡って銀が採掘された鉱山でした。とくに16〜17世紀の戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎え、戦国武将たちが石見銀山を巡って争えば、徳川時代となると幕府直轄領にされ厳しい管理下に置かれました。
 
17世紀前半には日本は全世界の銀産出量のおよそ3分の1を生産したとされ、当時の地図には、日本は『銀の島』と記されていたといわれます。そんな日本の銀産出量の大部分を支えていたのが石見銀山でした。石見の銀は海外にも多く輸出され、アジアとヨーロッパの貿易を支える役割を果たしました。
 
町とその周辺には銀山に関わる多くの人たちが住まい、その数は20万人を越えていたといわれ、 600カ所以上もの露頭掘り跡や坑道跡が今でも銀山山中に残り、かつて製錬工房と生活の場であった平坦地が約 1,000カ所以上も残っているといわれます[1]
 
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そのような石見銀山の偉大さは理解したとしても、往復5kmの銀山地区散策は、広葉樹の山が両脇に迫っている市道の中を散策するのみで、さすが世界遺産だなと驚き感嘆するようなシンボリックなもがないのです。何が世界遺産なんだろう? 石見銀山を訪れた人の多くが、正直そんな疑問を持つのではないでしょうか。
 
『シンボリックなものがないから』こそ、石見銀山は世界遺産なのです。どういうことなのか理解するには、石見銀山の世界遺産登録までの経緯を知る必要があります。以下、フリー百科事典ウィキペディア[2]から引用します。
 
2006年1月に日本政府は、ユネスコ世界遺産委員会に推薦書を提出しますが、2007年5月、各国から推薦された世界遺産登録候補を審査するユネスコの諮問機関である国際記念物遺跡会議は、遺跡の『顕著な普遍的価値』の証明が不十分であることを理由に『石見銀山は登録延期が適当』と勧告します。
 
しかし、ユネスコ政府代表部は、委員会構成国の大使や専門家に、勧告に反論する110ページにわたる英文の『補足情報』を送るなどして、石見銀山の特徴である『山を崩したり、森林を伐採したりせず、狭い坑道を掘り進んで採掘するという、環境に配慮した生産方式』を積極的に紹介し、巻き返しのための外交活動を展開しました。
 
結果、『21世紀が必要としている環境への配慮』がすでにこの場所で行われていたことが委員の反響を呼び、2007年6月28日、世界遺産委員会の審議により、世界遺産(文化遺産)としての登録が満場一致で決定されました。
 
【備考下記の旅行記があります。
旅行記 ・石見銀山(銀山地区) − 島根県大田市
旅行記 ・石見銀山(町並み地区) − 島根県大田市
 
【参考にしたサイト】
[1]石見銀山とは〜世界遺産への道【石見銀山ガイドの会】
[2]フリー百科事典ウィキペディア
 

2010.03.03  
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