レポート  ・五木と福連木、2つの子守唄   
− 五木と福連木、2つの子守唄 −
熊本県の子守唄といえば、同県球磨郡五木村に伝わる五木の子守唄が知られていますが、同県天草下島のほぼ中央部に位置する福連木(ふくれぎ)にも子守唄が伝承されています。福連木の子守唄は全国的にあまり知られていませんが、五木の子守唄よりも先にできていて、五木の子守唄の源流ではないかという説もあるようです。
 
福連木の子守唄も五木の子守唄と同様、口減らしのために子守奉公に出された幼い娘たちの心情を歌に託したもので、福連木小学校の児童たちに歌い継がれています。その福連木を今回訪れました。2つの子守唄の概要と関連性をまとめてみました。
 
           五木の子守唄
 
九州のほぼ中央に位置し、1,000m級の山また山に囲まれた熊本県球磨郡五木村は、その面積の97パーセントが山林で覆われ、しかも、1パーセント程度に過ぎない農耕地は、昔はそのほとんどが焼畑であったと言われます。
 
山林を所有し圧倒的な力を持った33戸の『だんな衆』と呼ばれる山林地主たち以外は、ほとんどが彼らの下でぎりぎりの生活を強いられた『名子(なご)』と呼ばれる小作人たちでした。
 
名子小作人たちの家では、貧しさゆえに、娘たちを年頃になると子守奉公に出さざるをえなかったのです。五木を離れ、彼女たちが奉公に出たのが山を南に下った人吉の豊かな商家や農家でした。親や姉妹と別れ、見ず知らずの家で、寂しくつらい思いをしながら、幼い娘たちが子供をあやしながら歌った唄が『五木の子守唄』でした。
 
現在一般に知られているメロディーは、戦後に古関裕而が採譜し、民謡歌手の音丸によって初めてレコーディングされたもので、正調の歌は、五木村公式ホームページなどで聴くことができます。
 
  おどま盆ぎり 盆ぎり 盆から先ゃ おらんど
  盆が早よ来りゃ 早よもどる
 
  おどまかんじん かんじん あん人達ゃ よか衆(しゅう)
  よかしゃよか帯(おび) よか着物(きもん)
 
  おどんが打死(うっちん)だちゅて 誰(だい)が
  泣(にゃ)てくりゅきゃ
  裏の松山 蝉(せみ)が鳴く
 
  蝉じゃ ごんせぬ 妹(いもと)でござる
  妹泣くなよ 気にかかる
 
  おどんが打死(うっちん)だば 道端(みちばた)いけろ
  通る人ごち 花あぎゅう
 
  花はなんの花 つんつん椿
  水は天から 貰い水
 
           福連木の子守唄
 
一方、天草市(旧天草郡天草町)福連木(ふくれぎ)地区は、天草下島のちょうど中央部の海の見えない山里にあります。集落から望む角山(かどやま)は、江戸時代から 300ha近い、主に樫(かし)の木ばかりが広がる天然の美林で、この山から切り出される樫の木は、日本一の槍(やり)の柄木として知られていました。
 
この山は地区民の共有林であり稼ぎ山でしたが、江戸時代初期の万治元年(1658年)、幕府御用達の山となると、安政5年(1858年)までの 200年間、山は幕府によって特別に守られ、村人は厳しい監視のもとに山に入ることも、枝葉さえ取ることも禁止されました。
 
稼ぎ山がなくなってしまったことで苦しい、寂しい生活を強いられた福連木では、小さなかわいい娘たちまでもが子守奉公として出稼に出て家計を助けました。安政年間に書かれた出稼ぎ取り調べ帳によると、6歳から74歳までの男女が出稼ぎに出ていたそうです。子守奉公の場合、行き先は人吉が多かったと言われます。
 
望郷の念にかられながら寂しかった子守奉公の心情を歌に託した福連木の子守唄は、安政年間以前から唄われていたと伝えられています。歌詞はいろいろ伝わっており、30種類以上が知られているそうです。福連木では、毎年11月には『福連木子守唄&童謡まつり』が行われ、福連木小学校の児童たちに歌い継がれています。
 
  ねんねこ ばっちこいうて ねらんこは たたけ
  たちゃて ねらんこは じごねずめ
  
  ねんねこばっちこは もり子の役目 そういうて
  寝らきゃて らくをする
  
  おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先きゃ おらん
  おっても ぼんべこ きしゃされず
 
  おどんが死んだ時ゃ だあが泣いてくるきゃ
  山の からすと親様と
  
  おどんが死んだ時きゃ 大道端いけろ
  登り下にゃ 花もらう
  
  花はたつつちゃ しばん葉はたつんな
  椿 つつじの 花たてろ    
 
〔注釈〕
 
@「ねんねこ ばっちこ」は、歌詞に意味はなく、子供をおんぶしてあやしている様。A「たちゃて ねらんこは じごねずめ」=たたいても寝ない子はおしりをつねりなさい。B「寝らきゃて らくをする」=寝かしつけて楽をする。C「おっても ぼんべこ きしゃされず」=居っても、良い着物も着させてもらえない。D「大道端」=人通りが多い道沿い。E「登り下にゃ 花もらう」=人が行き来するときに花を生けてもらう。F「花はたつつちゃ しばん葉はたつんな」=花を生けてもらうと言っても、柴は立てないで欲しい。
 
          2つの子守唄の関連性
 
福連木からの子守の出稼ぎ先は人吉が多かったといいます。福連木の子守唄は五木の子守唄よりも先にできており、人吉に奉公に行った娘たちによって伝えられ、五木の子守唄となったのではないかという説があるようですが、確証が得られているわけではないようです。源流であるかどうかは別にして、2つの子守唄には歌詞によく似たところがあり、人や文化の交流があったことが伺われます。
 
つぎの旅行記があります。
 ◆旅行記 ・福連木子守唄の里− 熊本県天草市  
  
【参考にしたサイト】
(1) ☆哀愁漂う『福連木の子守唄』☆
(2) 子守唄の里 福連木 天草市(熊本県公式ホームページ)   
 

2012.10.10  
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