レポート  ・サンパウロと椎葉   
− サンパウロと椎葉 −
先月(2008年9月)、歌謡曲『はぐれコキリコ』のヒットでお馴染みの成世昌平さんの生の歌声を聴く機会がありました。成世さんの歌に『ノスタルジア椎葉』という曲があります。移民としてブラジルに渡った酒井繁一(1901〜1984年)さんという方の宮崎県の椎葉に寄せる望郷の思いを歌った作品です。
 
九州のほぼ中央部に位置する宮崎県椎葉村は、周囲を1,400〜1,700m 級の険しい山々に囲まれた奥深い秘境の地で、平家追討伝説と民謡ひえつき節で知られています。
 
宮崎県南の南郷町に生まれた酒井さんは、地元中学校から現在の早稲田大学文学部へ進みますが、折からの経済不況で家業が傾き、やむなく休学して帰郷。1927年(昭和2年)、椎葉村の隣りの諸塚(もろつか)村の小学校代用教員として赴任します。
 
酒井さんは、そこで村人から『ひえつき節』を聞かされます。いまの歌詞にも冒頭に、『庭の山椒の木 鳴る鈴かけて ヨーオー ホイ 鈴の鳴るときゃ 出ておじゃれヨ』とあるように、当時のひえつき節は夜這い歌で、卑猥な歌詞だったそうです。
 
子供にも聞かせられるような歌詞をと思った酒井さんは、新しい歌詞を書き上げ友人に託し、復学のため再び上京しました。現在歌われているひえつき節の歌詞は、そのとき酒井さんが作ったもので、源氏の追手である那須大八郎(あの那須与一の弟)と平清盛の末裔・鶴富姫との、源平の恩讐(おんしゅう)を越えた恋物語が抒情詩的につづられています。
 
          稗搗(ひえつき)節
            宮崎県民謡
 
      庭の山椒(さんしゅ)の木 鳴る鈴かけて
      ヨーオー ホイ
      鈴の鳴るときゃ 出ておじゃれヨ
 
      鈴の鳴るときゃ 何と言うて出ましょ
      ヨーオー ホイ
      駒に水くりょと 言うて出ましょヨ
 
      おまや平家の 公達(きんだち)ながれ
      ヨーオー ホイ
      おどま追討(ついと)の 那須(なす)の末ヨ
 
      那須の大八 鶴富捨てて
      ヨーオー ホイ
      椎葉立つときゃ 目に涙ヨ
 
      泣いて待つより 野に出て見やれ
      ヨーオー ホイ
      野には野菊の 花盛りヨ
 
      なんぼ搗いても この稗搗けぬ
      ヨーオー ホイ
      どこのお蔵の 下積みかよー
 
復学のため上京した酒井さんでしたが、実家が倒産。やむなく1932年(昭和7年)に一家をあげてブラジルに移住しました。夢見て渡ったブラジルでしたが、行ってみると移住先はあまりにもひどい状況だったそうです。
 
苦しい蟻地獄のような生活がつづき、成世昌平さんの話しによると、二人の子供さんも亡くされたようです。そんな生活を乗り越えて、ようやく暮らし向きも安定してきたかと思った矢先、今度は第二次世界大戦の勃発、再び奈落の底へ。
 
そうして迎えた終戦後間もない正月、サンパウロ市内の日本人街を歩いていた酒井さんは、聞き覚えのある調べを耳にします。懐かしい『ひえつき節』です。それも、かつて自分が作詞した歌詞のひえつき節でした。息をのみ、思わず胸が熱いものでいっぱいになって、涙があふれて止まらなかったそうです。
 
今年(2008年)は、日本人のブラジル移住 100周年の年にあたり、日本・ブラジルの両国でさまざまな催しが開催されているそうです。成世さんの『ノスタルジア椎葉』もブラジル移住 100周年にあわせて企画されたものです。
 

椎葉については、下記に旅行記があります。
■旅行記  ・秘境〜椎葉 − 宮崎県椎葉村
           → http://washimo-web.jp/Trip/Shiiba/shiiba.htm
 
【参考サイト】
みやざきの101人酒井繁一
 

2008.10.22
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