レポート  ・カルパッチョ   
− カルパッチョ −
大塚国際美術館(徳島県鳴門市)に『聖女ウルスラの船出』という大きな複製画が展示してあって、この絵のことを調べていて面白いことを知りました。この絵は、イタリア・ヴェネツィア派の画家ヴィットーレ・カルパッチョ(1465年頃〜1525年頃)の作品なのですが、実は料理の『カルパッチョ』はこの画家の名前に由来するのだそうです。
 
本来、カルパッチョは、生の牛ヒレ肉の薄切りに、チーズもしくはソースなどの調味料をかけた料理の総称(日本のカルパッチョはヴェネツィアの牛肉料理カルパッチョをアレンジしたもの)で、赤身の生牛肉の色味が彼の独特の赤色を基調とした作風と似ているので名づけられたとされ、また彼自身が好んだ料理だという説もあるそうです。
  
さらに、本国イタリアで定着している第3の説として、1963年(あるいは1950年)、ヴィットーレ・カルパッチョ生誕 500年回顧展の期間中に、ヴェネツィアのレストラン『ハリーズ・バー』で考案された料理が『カルパッチョ』だったという説があるそうです[1]。
  
ハリーズ・バーのオーナーシェフであったジュゼッペ・チプリアーニは、ヴェネツィアで開催されたヴィットーレ・カルパッチョ生誕 500年回顧展に因んでカルパッチョ絵画の特徴とされる美しい赤と白の対比を、生牛肉とマヨネーズベースのソースで表現した料理を作りました。
  
チプリアーニが赤を表現する素材として生のサーロインを選んだのは、彼の友人のアマリア・ナーニ・モチェニーゴ伯爵夫人が、医者から加熱調理した肉料理を禁じられていたためだったそうです。
   

聖女ウルスラの船出(カルパッチョ、アカデミア美術館、ヴェネチア)
大塚国際美術館(徳島県鳴門市)の複製陶板画
生の牛ヒレ肉の薄切りを使った本来のカルパッチョ
(出典:Wikipedia)
日本の海鮮カルパッチョ
  
 魚のカルパッチョ(日本発祥)[1]
  
日本においては、生の牛ヒレ肉の代わりに、マグロやカツオ、サケなどの刺身を使用したカルパッチョが和洋折衷料理(西洋料理の日本風アレンジ)の代表例となっており、その創作者はレストラン『ラ・ベットラ・ダ・オチアイ』の落合務だといわれています。カルパッチョの発祥国イタリアにおいても、世界的な刺身ブームの影響を受け、生の魚肉を使ったカルパッチョや、野菜やフルーツを使ったものも多くなってきているそうです。
 
 ヴィットーレ・カルパッチョ(1465年頃〜1525年頃)[2]
 
イタリア、ヴェネツィア派の画家で、同じくヴェネツィア派のジェンティーレ・ベリーニに師事しました。風景描写に優れる。カルパッチョはとりわけ、『聖ウルスラ物語』として知られいる、9枚の絵画よりなる連作で著名です。
 
 聖ウルスラ[3]
 
聖女。伝説によれば4世紀または5世紀のブリタニア王の娘。才色兼備で、多くの求婚者のうち異教徒の王子に、キリスト教に改宗すること、1万1000人の侍女を従えて3年間ローマに巡礼に行くことを認めること、という条件を出しました。王子はこれを承諾。侍女たちを伴ってローマに赴き帰途ケルンでフン族に襲われました。侍女らは殺され、ウルスラも胸に3本の矢を受けて殉教。後に1万1000の天使が現れフン族を追い払ったといわれます。
 
【参考にしたサイト、出典サイト】
[1]カルパッチョ - Wikipedia
[2]ヴィットーレ・カルパッチョ - Wikipedia
[3]ウルスラとは−コトバンク(株式会社平凡社世界大百科事典第2版)

 

2019.10.23
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