コラム  ・カーヌスティの悲劇   
− カーヌスティの悲劇 −

日本のプロ野球にとって昨年は、球界再編、初のストライキ、有力選手のアメリカ・メジャーリーグへの移籍など、激動の1年を象徴する出来事のあった年でした。そして、シーズンオフには、巨人軍の清原選手の去就問題に注目が集まりました。


球団側は、あくまで清原選手を戦力外とする方針でしたが、2004年11月23日、東京ドームは、ファンフェスタに集まったG党5万人の「キ・ヨ・ハ・ラ」コールで、清原一色に染まりました。そのときの記者会見で清原選手は、「ファンの声援を聞いて改めて(巨人に残留する)決意が固まった」と述べています。


結局、清原選手は残留することになり、現在4番打者としてスタメン(先発メンバー)出場しています。いったん「戦力外」と見なした選手を攻撃の要である4番打者に据えるということは、やはり、清原選手の持つスーパースター性をより重視した、球団フロント(球団経営首脳陣)の経営判断でしょう。


だからと言って、試合に勝たなくても良いと球団フロントが言っているわけではないでしょうから、野球というスポーツは、それでも(4番打者の戦力よりスーパースター性を重視しても)試合に勝てる特性をもったスポーツだということでしょうか。それとも、ファンに後押しされて奮起した清原選手が、クリーンアップ(走者一掃)としての所期の成績をおさめて巨人軍を優勝に導くのでしょうか。


自らが勝負の結果を出さないことには、決して報われることのない個人競技の厳しさをまざまざと見せつけられたのが、1999年に、英国・スコットランドのカーヌスティで開催された第128 回全英オープンゴルフでの出来事でした。


大会最終日、最終18番ホールを2位に3打差をつけて首位で迎えたのは、十数年のプロ生活のなかで、6年前にヨーロッパツアーに1勝しかしたことのない、ほとんど無名に近いフランス人・バンデベルデでした。


この時点で、試合を観ていた誰もが、バンデベルデの優勝を信じて疑わなかった。観客席で優勝を楽しみにしていた彼の妻もそうだったでしょう。しかし、バンデベルデは、球をラフ(雑草地帯)に打ち込み、観客席に当て、蛇行する小川に入れてしまいます。靴下を脱いで小川に入ってボールを打とうと試みるバンデベルデの姿が印象的でした。結局、打つのを諦(あきら)めます。


『カーヌスティの悲劇』と呼ばれるこの出来事のため、バンデベルデは、プレイオフ(優勝者決定戦)の末、ポール・ローリーに優勝をさらわれてしまったのです。結局バンデベルデは、この最終ホールで7打うったわけですが、それを6打に留めておけば、優勝を手にできたのでした。たった1打に泣きました。


日本のゴルフファンは、米国のタイガー・ウッズ(30)贔屓(びいき)です。ここしばらく低迷を続けてきたウッズでしたが、ザ・マスターズ(2005年4月7〜10日)で帰り咲きました。日本では、宮里藍(19)、横峯さくら(19)らの活躍で、いま女子ゴルフが盛り上がっています。


ゴルフでは、前日までの成績によって当日のプレー順が決められる(成績が良いほど後の組で回ります)ので、いくら過去に実績があっても、いくら人気があっても、いくら格好良くっても、その試合で成績が良くて優勝を争う位置にいないと、テレビに映ることすらありません。


そして、一つ一つの試合で勝って一つずつ賞金を得て行く他に収入の術(すべ)がありません。ゴルフはあくまで、その試合で、『どれだけ少ない打数でカップ(穴)にボールを入れたか』だけで評価される、評価の基準がシンプルで、はっきりしているスポーツです。


曖昧模糊(あいまいもこ)とした清原選手の残留劇の中で思い出した『カーヌスティの悲劇』のことでした。


【備考】
◆「カーヌスティ Carnoustie FAIRWAYS」
             → http://www.fairway.cc/course/Carnoustie.html



2005.04.20  
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