コラム  ・ブエンの話し   
− ブエンの話し −
10月に入っても依然として残暑の厳しい薩摩地方ですが、空はさすがに秋の気配です。小さな雲片が集まってさざ波にも似た秋の雲は、魚鱗(ぎょりん)のように見えることから鱗(うろこ)雲とか、この雲が出ると鰯(いわし)が集まるといわれることから、鰯雲などといわれます。
 
      行商の声も高らか鰯雲  ワシモ
 
本メルマガの著者が生まれ育った薩摩地方の山間の村には、子供の頃、枕崎や阿久根などの港町から、『ブエンは、いいもはんどか〜い(ブエンはいりませんか〜)』といって、行商のおばさんが荷を背負ってやってきたものです。『ブエン』とは、塩魚に対して塩を施さない生魚のことで、『無塩』に由来します。
 
このブエンという言葉は、鹿児島地方独特の方言だとばかり思っていたところ、調べてみると、紀元前 400年〜紀元頃の中国の古書『管子(かんし)』などに見える漢語の言葉だそうです。
 
日本でも、中国古典の漢語と同じ意味で用いられ、中世(平安後期〜室町・戦国時代)には、『塩を用いない』意から派生して、特に、『魚介などが生(なま)である』といった意味で用いられました。平家物語に、木曽義仲にまつわる『平茸と猫おろし』の話しがあります。
 
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木曽義仲(1154〜1184)は、武蔵の国大蔵(埼玉県嵐山町)に生まれ、父は、源頼朝の父の弟で、従って義仲は源頼朝の従弟にあたります。幼少の時、父が頼朝・義経らの兄に殺されると、その後は、斎藤別当実盛らの情により、木曽の山中に匿われて成長します。
 
治承4年(1180年)、以仁王(もちひとおう)の令旨を受けて、平家追討の兵を挙げ、寿永2年(1183年)、砺波山(加賀と越中の国境の山)で平維盛を敗り、入京。その功を賞して後白河法皇から『朝日将軍』の称号が与えられました。
 
しかし、その後の木曽義仲軍の粗暴な行為に困った後白河法皇は、とりあえず平家追討の命を義仲に与えて都から遠ざけておき、その隙に鎌倉の頼朝に上洛を促し、密かに頼朝に義仲追討命令を出しました。寿永4年(1184年)、義仲は頼朝が差し向けた源範頼・義経軍と戦って敗れ、近江国粟津ヶ原で戦死しました。
 
『平茸と猫おろし』の話しは、御所の公卿(くぎょう)たちが、木曽義仲の田舎者丸出しの無骨な振舞いにいかに辟易したかという話しです(義仲にしてみれば、精一杯のもてなしのつもりだったのでしょうが)。
 
あるとき、猫間中納言光高という公卿が義仲に相談すべきことがあって、義仲邸まで出向いてきました。郎党どもが、『猫間殿がお目にかかりたいと、おいでになりました。』と部屋に義仲を呼びにいくと、義仲は爆笑します。
 
『なに猫が人に会うのか。』 冗談でいっているのでもないらしいので、郎党どもはあわてふためきます。『猫間の中納言殿です。猫間とは、住んでいらっしゃるところの名前でございます。』『そうか。それじゃあ会おう。』
 
ところが、面と向かい会うとどうしたことか『猫間』の『間』がいえません。『せっかく猫殿が参られたのじゃ。食事をさし上げぬか。』 中納言は、ちょうどお昼時に義仲邸を訪ねたのですが、武士と違って公卿には昼食の習慣はなく、一日二食です。
 
『いやいや、只今はたくさんです。』といって中納言が辞退すると、『そうだ、ちょうどぶゑん(ブエン)の平茸があるではないか。もって参れ。』と命じます。ブエンというのは文字通り塩気のないことをいうのですが、義仲は何でも新しいものをブエンというのだと勘違いしていたのです。
 
中納言の前に出されたひどく大きい、底の深いお椀には、飯が山盛りに盛られています。さすがに食べぬのも悪いと思った中納言が、箸をとって食べるふりをして下に置くと、『猫殿は小食でいらっしゃるか。これが評判の『猫おろし』かや。ささ、食べなされ。』といって、食事をすすめます。
 
『猫おろし』とは猫が食べ物を残すことをいいます。猫間中納言は、すっかり興ざめして、相談すべきことを一言も口にすることなく急いで帰ってしまったというのです。
 
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おもしろいことに、近世(安土桃山時代〜江戸時代)になると、ブエンという言葉は、義仲が勘違いして使ったように、魚だけでなく広く野菜などに関しても、生である、新鮮であるの意味に使い、浮世草子や人情本などでは、『うぶな人』、『純粋な人』といった意味にも転じて使われたそうです。
 
現在では、『生である、新鮮である』という意味の方言として、岩手県・新潟県・茨城県等の東北地方、島根県・岡山県の中国地方などで、『生魚、鮮魚』という意味の方言として、鹿児島県のほか熊本県、長野県、奈良県、岐阜県飛騨地方などで使用されているようです。
 
鹿児島でブエンといえば、首折れ鯖(くびおれさば)の刺身が絶品です。首折れ鯖は、屋久島で水揚げされるゴマサバの現地名のことで、新鮮さを保つために、漁師が漁獲後すぐに鯖の首を折って血抜きをすることからその名があります。マサバに比べて脂肪分が少なく、刺身にすると身の締まった歯ごたえが味わえるほか、しゃぶしゃぶやすき焼きにも適しています。
 
【参考にしたサイト】
[1]「ブエン(無塩)」の語史と地域方言残存との相関性について
[2]「ぶえんの平茸」の出典(コラム)
[3]猫おろし事件の真相
 

2007.10.10
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