コラム  ・アンカレッジ国際空港   
− アンカレッジ国際空港 −
技術調査と技術提携の仕事でドイツ(当時の西ドイツ)に20日間滞在したのは、34歳(1983年)の秋でしたから、もう38年前のことになります。東西冷戦時代だった当時は、西側のエアラインは自由に旧ソ連上空を飛行することができませんでした。
 
したがって、日本からヨーロッパへの航空ルートは、アンカレッジ経由で北極上空を飛ぶ『北回りヨーロッパ線』が一般的でした。北極圏を経由することから『ポーラールート』とも呼ばれる航空ルートです。
 
当時は、日本からヨーロッパまでノンストップでいっきに飛べる航続距離の機材(航空機)がなかったので、いったんアンカレッジ国際空港に降りて給油する必要があったのです。
 
フランクフルト行きのJL便の機内では、映画『時代屋の女房』(1983年3月公開)を上映していました。スクリーンに映る故夏目雅子さんの姿がとても鮮やかで綺麗だったことなどが、『アンカレッジ』という懐かしい響きとともに思い出されます。
 
1991年のソビエト連邦崩壊によってシベリア上空飛行が全面開放されると、シベリア上空を飛んで日本とヨーロッパを結ぶ『シベリア上空経由路線』が一般的になり、アンカレッジ経由のルートは運用されなくなりました。
 
ところが、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻により、欧州連合(EU)がロシア国籍機に対し航空制裁を発すると、ロシアも直ちにロシア領空内のEU各国の飛行を禁止しました。
 
日本の航空会社はロシアから領空飛行を禁止されていませんが、航空機の故障時における安全性の確保を鑑みて、日本航空(JAL)は『北回りヨーロッパ線』へ、全日本空輸(ANA)は、日本から、東南アジア、南アジア、中東などを経由してヨーロッパへ向かう『南回りヨーロッパ線』へ、採用ルートを変更し出しました。
 
現在では航続距離が1万4千km余りのB777‐200ER(236席)や航続距離が1万2千km余りのB787‐8(240席)など、航続距離の長い航空機が使用されているので、アンカレッジでの給油なしに『北回りヨーロッパ線』を飛べるようになっています。
 
東京とアンカレッジ間の距離は5千5百km余りですから、例えば航続距離が7千q余りのB757‐200(200席)を使用すれば、1980年代以前のように、アンカレッジ給油による『北回りヨーロッパ線』の採用ができるわけです。
 
南回りルートおよび北回りルートによる迂回が長期化した場合、アンカレッジ国際空港を利用した『北回りヨーロッパ線』のメリットが再び着目される可能性があるかも知れません。
 
日本 〜 ヨーロッパ間の3つの航空ルート

2022.03.16
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