特集  郷中(ごじゅう)教育 − 目次(INDEX)  
        
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郷中(ごじゅう)教育
(郷中教育が培った薩摩の士魂/日本主義』No22・2013年夏、白陽社)
旅行記 ・島津日新公いろは歌 − 鹿児島県南さつま市
旅行記 ・忠元公園 − 鹿児島県伊佐市
旅行記 ・曽我どんの傘焼き − 鹿児島市
旅行記 ・薬丸野太刀自顕流 演武 − 東京都渋谷

   
《郷中(ごじゅう)教育》
   
1947年〜49年生まれの、いわゆる団塊の世代である著者が小学校、中学校時代(昭和30年代)には、鹿児島県内の田舎にもたくさんの子供たちがいました。お兄さんやお姉さん、弟や妹たちと連れだって遊びにいくと、田んぼに用水路があります。まずお兄さんたちが飛び越えてみせます。つぎに、年下の者が飛ぶのに躊躇していると、周りの者が『泣こかい、飛ぼかい、泣こよかひっ飛べ』と囃し立てます。これは、困難に出会った時はあれこれ考えず、とにかく行動しろという薩摩人の思考法をあらわす言葉で、今にして思えば、郷中教育の名残だったのでした。また、鹿児島県内では、たとえば神社の掲示板などに、@負けるな、A嘘をつくな、B弱い者をいじめるな、という3つの言葉が大きな字で掲示されているのをよく目にします。これもまた、郷中教育の教えを今に伝えている言葉です。交通未発達の時代に、日本列島最南端のいわゆる僻地が、多くの偉人傑士を輩出し、明治維新の最も有力な推進力となり得たのは、一に郷中教育の制度が全薩摩藩に広がり、その精神が徹底していたからに他なりませんでした。
   
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